時間と空間を与えられる意味

時間は空間にあり、空間は時間を操作する。この意味は私たちが生きている今の連続が重なり合いながら時と言う時間の概念を作り上げているのです。
今、今、今が連続して長い歴史観のようなものの感覚に陥る、続きがこれからもあるように感じるのです。
それは死と言う肉体が滅び生命が尽きてしまい亡くなる状態への時間の概念がそのような理解に導いているのです。
しかし、事実あった歴史観は記憶として残り、後世にも伝え残す事もできる意識体にインストールされた状態では時間の必要性が無くなるのです。
三次元であるからこそ滅び亡くなるからこその物質の腐敗や崩壊、壊滅などがあるが記憶などは個々の人生観には一生残り続け来世もまた記憶として残り続けるのです。
記憶が単に物覚えでの概念では無く、記憶には様々な感情の記憶が残るからこその思い出なのです。
日々何気なく暮らしていれぼ、余程の記憶には残る事はないかもしれません。
しかし、印象的な出来事や生来に渡り切っては切れないものへの記憶、家族や兄弟、恋人や嫁や子供など人生に影響する周りの環境こそ記憶や思い出として残り続けるのです。
生きる時間内に言動から自身への影響を与える役割として生命を天は与えており、意識体への記憶は積み重ね式によって魂にインストールするのです。
前世があるなどといった具合に今まで積み重ねてきた三次元生活から得た印象的な出来事や人間関係、事件や事故や結婚や恋愛、家族との生活環境、学校生活、勉学など生きる過程による時間の流れの中で我々は生きている時間から得た大切な情報を記憶として残しているのです。
だから生まれてからの性格や癖なども全て記憶からの集大成が魂によって形成され、両親の肉体継承によって天命を受けこの時間と空間の世界へと輪廻するのです。
単なる生まれたことによる偶発的な現象ではないのです。
何らかの意味が前世の因果と肉体を得る為の因果が合致してこの世に誕生してくるのです。
生まれてから何らか身体に障害があったとしてもそれは三次元で繰り返された過去の因果が今の形として形成された訳であるのです。
その状態を我々は衛護し、同じ人間としての計らいをする事を前提に生きる術を共有しなければならないのです。
罪深いものや徳に満ち溢れた者も全てがひとつの地上世界に於いては、平等でなければならないのです。
その為に天は時間と空間を我々に与えた訳なのです。