世界の裏側の悩みも我々の悩み

インターネットにより世界がより身近に感じるようになり、またコロナによって世界規模の病原体から我々と同じ境遇を辿っている意識が更に、同じ地球上に生きている人間がいると実感するのです。
地球の裏側にはブラジルがあり、丸い地球の向こう側には言語が違う、肉付きや顔つき、肌の色など見た目は違えど同じ猿が進化した同じ人間が世界中にはいるのです。
何を想い、何に人生の喜びを見出しているか各々違うのですが、同じ悩む動作や同じ病気にかかる事や、喜びを表現する事は全て人間であれば世界共通全て同じなのです。
同じだからこそ我々は世界が同じ幸福の領域に達するように取り組まなくてはならないのです。
今の自分の悩みと地球の裏側にいる人の悩みは違いますが、悩みの内容が自分からすれば悩みでは無い人が世界の裏側の人にとっては重大な悩みだったりするのです。
例えば、水の供給をしていることは世界どこにもあるとされていますが、実際水質が悪く病気になってもおかしくない場所で飲んでいる人たちがいらっしゃるのです。
我々からすれば想像を絶するものであると思うのですが、水すら飲める状況で無い場所も現に世界の何処かではあるのです。
また、飢餓状態であったり、何らかの武力攻撃などにより住むことすら出来ない現実が世界にはあるのです。
世界各地で標準に暮らすとは?一体どのようなものなのでしょうか?
我々が今ある社会が標準であるならば、世界にも標準を共有する事で、水のある生活や食糧が手に入る生活の標準を分け与えなければならないのです。
自分の悩みと世界の裏側で起こっている悩み、隣国で起こっている悩み、日本国内の何処かで起こっている悩み、隣県で起こっている悩み、隣町で起こっている悩み、近所で起こっている悩み、隣の家の悩みと近づけていけば、世界の何処かで起こる悩みも我々が一緒に考えていかなければならない悩みとなるのです。
先進国だからでは無く、人として悩みの解決を考えていかなければならないと思うのです。