自然に立ち返ることが自分らしさ

何故、昔から肉体以外の何らかに宿る目には見えないモノが存在するのでしょうか?
神社などにはしめ縄をした大木や岩など自然に宿る何らかの力を昔からのイワレとしており、理由として逸話があった事で今に受け継がれた古伝が良く書かれているのです。
昔このような出来事から始まり縁起となり、今に至る、そして今このような崇拝をしているなど数千年前から受け継がれたものが今の時代に継承されているなど全国の神社や仏閣や文化遺産的なところに随所としてあるのです。
これは同じ人間が感じ取る見えないものを感じ取れる第六感の様なものからの派生であり、特に技術革新により人間の感じとる感性のようなもの、空気を読む、阿吽の呼吸と言われるようなものが現代には必要では無くなったのです。
昔はこのような空気を感じる、自然から得る感性を研ぎ澄ました結果、この場所に何らかの力が宿っていることを我々は悟ることができたのです。
電気、ガス、水道、携帯など無い世界で人間は何を感じ取って生きていたのでしょうか?
無の状態とも言えるような太陽と暗闇の世界で自然と隣接して暮らしていたのです。
今では考えようも無いくらい、生きる事をリアルに感じ取っていた時代があり、ネイティブのような場所が各地にあったのです。
自然は我々人間と密接な関係としており、近年自然破壊や汚染などを根底から見直す世界的な啓発が生まれてきているのです。
自然に立ち返る、自然と共に生きる、自然でなければならない理由があり、人間が革新的技術を要した世界を作ったとしても最終的に帰る場所は自然の土にあるのです。
動物や植物は土の養分を必要とした土壌から成長し、成長後にはまた枯れて土に帰る当たり前のような自然のサイクルに従わなければ、我々人間も生きていけなくなる事を意味しているのです。
自然に帰ること、自然を意識した自分がより良い生活環境を整えてくれるものと理解できるのです。
最近ではキャンプなどのアウトドアを楽しむ方もいらっしゃるのは、日常の自分が本来の自分から解き放たれた状態を意味しているからなのです。
自然である自分作りこそ本来の自分を取り戻すものとして、自然派の自分がこれからの時代に必要であると理解しなければならないのです。