真実の意味

最大の難問を解く質問として皆さんはどのような答えを導き出すかを考えてしまうのです。
(難問題1)
世界の人々が全員幸せになる為にはどのようにすれば良いでしょうか?
もしこれが一生貴方に与えられた問題であればどのような答えになるかを想像するならばどのような考えに至るかを自身に問うていかなければならないのです。
全てを楽観的に終わらせるなどと言う成長性の無い考えではなく、後にも先にも引けない状況で突きつけられた問題を天から与えられたものとしてこの時代の在り方をが考察して自分なりに答えを導き出さなくてはならないのです。
まず、この時代世相になった理由を考えると平和と言う概念は一体なんなのかを考えなければならないのです。
平和とは物理的な平和が平和と言われるものなのか?
例えば、貴方の気にいる洋服があるが値段が高いからなかなか購入出来ない…
しかし、働いて自分は購入して喜びを感じた。
この一連の流れを見ても普段の生活には当たり前とされている我々の生活と若干の贅沢意識から派生した需要と供給の仕組みなのですが、この行為か自分のご褒美とされる高価な物の購入が自分を満たす行為に対して刹那的な意識であると考えられるのです。
努力した自分への褒美として自分自身に与える一瞬の労りは経済への良い行為であるのですが、その行為こそ物質への執着や煩悩に乱れた世界にも自身が身を置いている結果でもあるのです。
物質依存は良いのですが、物質主義に陥るのではなく、生活に必要とされるべきもの範囲が自身の努力の賜物として自分に褒美を遣わすのです。
人間が物に踊らされている行為が滑稽に映る場合もあるのです。
例えば高級フェラーリを乗って「俺様は高級な車を乗っているんだ。凄いだろ。」のように感じ取られる意識そのものが三次元世界の物質依存に振り回されている証拠なのです。
物質は必ずこの三次元世界には必要であり、便利にする世の中であれば、我々の生命の延命を担保していただける力なるのですが、物質に執着しすぎてしまい、あたかも自分がこの世の中心で回っている意識に囚われてしまい、嘘も本当も関係ない意識になってしまっているのです。
この意味は金の魔力とも言えるのですが、自分の器以上の物を手に入れてしまうと浮き足だってしまい、真実を見失い更に自分をも見失う結果、最悪の結末を迎えてしまうのです。
金を持つことの意味を考えるのです。
金は何の為にあるのかを考えれば全て高価とされる物への意識が働いてくるのです。
値がつくの意味を我々は理解しなければならないのです。
なんて刹那的なのでしょうか…
いつしか肉体は滅びゆくのに人間が勝手に作り上げた価値に振り回される始末。
これこそ生きる意味を教えてくれているのです。
だから煩悩と言われる由縁であり、煩悩が悪い訳でもないのです。
物に振り回される、感情の支配によって自分を見失っている事が悲しく見えるのです。
この意味こそ真実を知るきっかけとなるのです。
この意味を知れば、親、兄弟、友達、知人など全ての関わる人々が愛おしく、そして物質よりも高価なものであると実感するのです。
生命の価値と物理的価値の意味を問うているのです。
周りからどう見られるかとか…そんな意識は必要ないのです。
如何に自分が生きている証を証明することこそが真実に至る答えだと考えるのです。