真の幸せを掴むには


この度、新設したホームページには今までコラムで記載してきた全ての意味を込めたものとなり、単に人生を悲観して何ごとにもネガティブな感情に支配されぬよう何らかの委ねる対象のものを持つことが我々の弱さ、いわゆる不安、悩み、葛藤などを全て拭い去るものとしての考えに至るのです。
人は本来何らかに助けを求めながら生きており、生まれてからの助けとしては両親や周りの仲間たちによって人生の助力を得ることになるのです。
しかし、時には両親からの十分な愛を受けられずに枯渇した自身の心の状態を救う唯一の方法になってくるのです。
人は常に悩み続けるものであり、悩みを常に克服しながら自分を成長させなければならないのです。
楽しく生きることの意味は単に娯楽を求めることでは無く、自分の周りの人間関係がどのように成り立っているかが幸せの一歩となるのです。
周りの環境が幸せに直結すると言っても過言ではない、環境とは単に物質で満たされたことを指している訳では無く、周りの家族との仲の良い関係性、職場仲間との良好な関係、親愛なる友との関係性、最愛なる恋人や妻への無償の愛や自分の子供への愛情、更に自分自身への愛情が真の幸せであることを指しているのです。
いくら高級マンションに住んでいても、高級な車を何台も持っていても、ブランド品を複数持って周りへの凄さをアピールしても最後に得るのはただの虚しさだけなのです。
虚しさをわかって周りに自分の承認欲求を満たそうとしても永遠にその虚しさを拭う事は決してあり得ないのです。
真の幸せは周りの良好な人間関係から成り立つものであり、大好きと周りに自信を持って公言できるくらいに満ちた関係であれば、それが最大の喜びであり幸せと考えることが1番ベターであるのです。
お金があれば確かに安定した生活を担保できると思いますが、それだけの為に必死になって求める必要はないのです。
お金が全てでは無く、安心した幸せは沢山の預金や貯蓄を持つことでは無いのです。
周りの人達に慕われることこそ、自分の思い出に刻みこまれ、肉体が滅びても永遠に消える事が無いのです。
しかし、今の世の中は自分の事だけしか考えておらず他人を思いやる気持ちが欠如している、もしくは他人の立場に立って物事を観る力が無くなっているのです。
人を傷つける行為、悪口を言うこと、他人より自分の方が上であるとか、勝っているとか、時には暴力から自分の立ち位置を作り上げる行為だとか…その様に他人よりも自己の利益や自己の主張ばかりを言い放ち、結局自分一人の世界でしか物事を判断できなくなり、死に際まで一生固着した考えを持ち続ける結果となるのです。
それが本当の幸せであると実感できますでしょうか?
真の幸せは自分自身の個性と周りへの感謝を忘れない心を持ち、周りとの良き信頼関係から更にお互いがブラッシュアップ出来る関係性を持ち続けることが必要なのです。
他人の粗探しばかりに目が向き、一生他人との差別化を図ろうとする行為が虚しく映るのです。
この世は想念の世界で出来上がっており、自分が幸せだと今すぐに思う事ができれば、それがいわゆる天国と呼べる世界なのです。
先程も申した通り、物質ありきの話では無く、真の幸せとは良好な人間関係の構築こそ、幸せのあり方であるのです。
物質を得たから幸せだと言う考えでは無く、永遠に消えることの無い思い出こそ彼岸の一歩となるのです。
この数日は新たに新設しました東瑞庵の考え方をまとめたサイトで頭がいっぱいでしたが、これからも全ての人たちが真の幸福を得たいと願う者へのきっかけとなれば幸いなのです。
少しでも共感していただければ嬉しく思いますし、疑念を持ってでも良いですからまずは真の幸福の在り方を模索しても良いかと思うのです。
真の幸せを得る為には固着した考えを一度リセットしてみてから、自分がそう信じれるものをチョイスすれば良いのではと思います。