自身を抑制する力を養うには?

コラム
2021.06.17

いつも心が晴れるようにするにはどのようにすれば良いのでしょうか?

人間は未来や明日の見えない不安と常に戦っており、明日への恐怖とも言える心の葛藤がつきまとっているのです。

どのようにすればこの明日への恐怖や不安から逃れる事ができるのでしょうか?

単に薬局に行き、不安を解消するため、γアミノ酪酸を服用して心を落ち着かせることが本当の不安を払拭する唯一の方法なのでしょうか?

根底にある不安をどのようにして拭えば良いのか?を考えなければならないのです。

生きる事は辛く、不特定多数からなる社会に我が身を置き、集団生活をより良いものにする為には一体どのようにすれば良いのでしょうか?

職場でのパワハラや強制的な扱い、学校でのいじめや揶揄い、愛情不足からとも言える枯渇した心が態度となって現れ、周りの人々を傷つけてしまっている事すら自身が気付いていない事に問題があるのです。

感情や想念が態度となっている三次元の世界に我々は生きているので、素となる心を如何に鎮め感情をコントロール出来るかが一番の解決策となるのです。

本人が自分を客観的に見れる力があれば、相手の気持ちを察する事から言葉を選び、傷つけてしまわないように計らう事が出来なければならないのです。

いくら上司や偉い立場だとしても、立場に応じた人間力を養えているか?が最大の問題であり、学問だけの教養だけであっても、人間的道徳心の教養が無ければ全く無意味な社会活動となるのです。

悪気なく人を傷つけてしまうことは確かに不可抗力としては必ずあるが、故意に自分の立場の誇示の為に周りを当たり散らしてしまう事や、ストレスから相手に対して無闇やたらにヘイトする事など自分のためだけに周りを巻き込んでしまっている行為に至るまでの精神抑制を図らなければならないのです。

その為には何らかの精神依存となる対象を自分なりに見出していき、自分が常に穏やかな精神状態を維持出来るように努めなければならないのです。

他人を傷つける行為は自分のエゴや勝手な相手への先入観によって、追い詰めてしまう結果となり、生命までも奪ってしまう結果となるのです。

いつしか全ての方にこの自分を抑制する力を持って頂き、より良い社会生活に繋げて頂きたいと思うのです。

何故、人が悲しまなければならないのでしょうか?

毎日、流れてくる悲惨なニュースや世界で起る辛いニュースを見ているだけでも心を痛めてしまうのです。

生命が何故あるのか?生命が何の為にあるのか?の答えを見つけ出し、自分が周りにどの様に良い影響をもたらす事が出来るかが最大の人生のテーマともなるのです。

自分の個性や生き甲斐を我慢しろと言う意味ではなく、周りに自分の行動で良い結果を生み出す起因とならなければならないのです。

人が悲しんでいる姿を見てどのように自分には映っていますでしょうか?

泣いている人や悲しんでいる人を見て見ぬふりをする事は自分から派生した良い結果を生み出す行為とならなければならないのです。

生きる事がどのように辛い事かを皆さんで共有していき、互いに助け合う社会でなければこれからの日本社会が崩壊していき、秩序も道徳も無い世界に戻ってしまうことを意味しているのです。

何故、自分の事ばかり個人の人権を誤認して発言するのか?理解に苦しむばかりなのです。

己を知り、他人を思う心を養うように自己立身しなければならないと感じる今日この頃なのです。

少しでも早く社会がひとつのコミニティーの様な機能や役割となる社会実現に変化していけば大変素晴らしい世界に変貌するものと考えるのです。

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