巡り巡る先にあるもの

日々変わる時代が我々の気持ちを希望に満ち溢れるもののニュースであったり、暗いニュースから未来を感じることが出来ない気持ちになって塞ぎ込んでしまうなど多々あるかと思うのです。
自分を輝かすことを夢見ることは誰にでもあり、必ず実現したいと感じる思いはあると思うのです。
しかし、この世は自分の都合の良いように取り計らうことが殆どなのです。
自分都合の理由から真実は湾曲されてしまい、その隠蔽された真実のしわ寄せが、他の者への精神や物理的損傷を招いてしまっているのです。
何故、自分の正当化するのか?正当化と言うハリボテによって真実を隠すことによるメリットは一体なんなのでしょうか?
最終的に必ず自身に跳ね返るようになっているこの三次元世界から逃れる事はできないのです。
今世で真実を隠したまま終えても、帰依した時点での業が加わり、また生まれ変わる際の業のしわ寄せが自分の何らかの障害となってしまう仕組みになっていると理解しなければならないのです。
これは一般良く聞かれるような仕組みだと知っていりかとは思いますが、まさにその通りなのです。
何処かで帳尻を合わすようにこの世界はなっているのです。
例えば、人間は生活を便利にする為に地球の資源を使い、加工、製造、製品に仕上げて我々の生活に役立つ社会構図になっていると理解はできると思います。
しかし、人間が商品を消耗した廃棄物やゴミ、燃料のカス、油、プラスチック、ビニールなどの生活に不必要となったものへの対処が不十分であるから、地球環境破壊や気温上昇などに繋がり、我々の生活を脅かす結果となるのです。
自然災害、特に台風やハリケーンなどは環境破壊からなる地球の温暖化から引き起る問題に直結しているのです。
この世は誰かのエゴがそのエゴの被害者が必要となる仕組みであると認識しなければならないのです。
単なる欲望が先に立つことで誰かが被害を被ることを理解しておけば、ゴミを平気で道路に捨てる行為しなければ、誰も拾わなくていいと理解しなけれはならないのです。
自分の捨てたゴミを誰かが代わりに捨てると言う事がどれだけ愚かな行為かを知る必要があるのです。
こんな当たり前の事を理解できない事が世界中には無数にあり、さらに国単位での争いも然り、領土を奪い合う行為も自分エゴに陥り、無駄な争いをあえて引き起こしていると認識出来ない智慧の無さを物語っているのです。
無駄な争いほど智慧が無いと理解できるのです。
人間としての人格の低さを露わにしていることを理解して客観的な視点から世界をグローバルに見れるように努めなければならないのです。
いつか世界は弥勒の世に変わるように仕向けられており、衆生に救いを与え真の平和な世の中に変わるとされているのです。
今、今、今、今さえ良ければに囚われ過ぎて大切なものと引き換えにしている事に早く気付くべきなのです。
知恵では無く、智慧を持ち人が全て平和に暮らせる世に変わるよう我々ひとり1人が心に留めておかなければ未来を開拓することは不可能なのです。
