余裕を持つ心と囚われない心

コラム
2021.06.20

悩みが尽きないのは何故なのでしょうか?

悩めは悩むほど自分の気持ちの折り合いを迫られるのです。

こうでなければならないと言う観念が悩みを生み、執着心を生み出す結果となるのです。

人は悩むからこそ真実を知ろうとしており、悩む事は自身への気づきでもあるのです。

悩む理由があるならば悩む理由の受け止め方を変えれば良いのです。

人の性格の違いと同じことで、もし仮に今置かれている問題が悩みと受け止めているならば、違う人から見れば悩みと感じない人もいる訳なのです。

では悩みと感じない方の受け止め方に自分も置き換えてみれば如何でしょうか?

悩みと思うから悩みとなり、悩みに映らない人からすれば当たり前の事だったり、大した事が無いと思える思考回路に自分も置き換えればならないのです。

また、発想の転換も有効な手段であり、例えばテストで90点以上とらなければならない、絶対取るなどと意気込むのは良いが、それが逆にプレッシャーとなり自分を追い詰めてしまうのです。

90点以上は必ず狙うけど80点以上ならば善しとしておこうと自分に余裕を持つことが必要であると考えるのです。

自分を追い詰める結果は自分がこうなければならないと勝手に思い込んでしまい、自分の理想的な姿をイメージしてあたかもそれが完璧な姿に自分を近づけようとしまった結果、プレッシャーに潰されてしまう悪循環に陥ってしまうのです。

心に余裕を持ち全てに於いて余裕を持たせる事が何でも必要であると思うのです。

自分の勝手な観念が執着となり、譲れない性格になったり、周りの気持ちすら察する事が出来なくなったりするのです。

余裕を持った心を持ち、違う角度から視点を変えて考える柔軟な思考を身につける必要があるのです。

もし違う角度から見れないならば、人の意見を聞き入れ自分ならばこの考え方ならば採用できるとかでも良いと思うのです。

こうでなければならない理由とは一体なんでしょうか?

こうでなければならない理由があったとしてもそれば自分だけの価値観にしか過ぎず、自分の性格から見てそれが良いと主観的に考えているだけに過ぎないのです。

では逆にそうでなければならない理由が万人に受け入れられるものであると自身は理解できるのでしょうか?

自分の意見が万人に受け入れられるような意見であれば問題ない以上に称賛されるべき人物になっているのです。

物事が今までこうであったから、こうでなければならない理由など無いのです。

常に時代は変化しており、変化の中に我々は生きる美学を見出しているのです。

季節が巡るように四季の中に風情を感じ取る我々の心の変化が自分の感情を変化させて価値観を作り上げているのです。

時代が変わるから我々の考え方も常に揺れ動き、自分が更に違う新しいステージに立つ、いわゆる気づきとなるのです。

しかし、今までが正しい、今までのエビデンスがとか…確かに過去の実績データを見ることは必要かと思いますが、単に指標となるものへの一部に過ぎず過去の囚われが未来への開拓には繋がらないのです。

過去に学ぶべきところは大いにあり、先人の知恵を得て今に生かす事は大切なのですが、あまりにも固着し過ぎて将来の変化を予測した対応が出来なくなる、いわゆる先細りになるのです。

四字熟語で温故知新と言う言葉がありますがまさにその通りなのです。過去にあったことを学び調べ実践して得られた自分の感じた結果から新たに導き出す新たな発見や知識なのです。

このことから今までの当たり前が当たり前では無い事を受け入れる器量が必要になってくるのです。

器が問われる、器に見合う自分に常に成長させていく事を意味しているのです。

全ての考えには留まる事を知らない人類の智慧が常にカスタマイズされていく世界観となるのです。

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