意識感情がもたらす結果とは?

もし今の感情がこれからも残り続ける意味を考えてしまうのです。
今の感情は今までの体験や経験をした結果が今の自分の感情であり、そして記憶でもあるのです。
記憶から導き出した感情が今の想念となり、肉体が亡くなれば、今の感情や記憶だけが残り続けることになるのです。
生まれる前は自分はこの世に存在していない、無から始まり生まれて有となる。
そしてまた肉体が亡くなり無となる。
この過程には深い意味があり、無から有になった場合に肉体を通じて体感する経験が生まれ、生まれる前の無の状態から意識体がまた五感を通じた刺激から意識体への感情の変化を与えるのです。
肉体から得る刺激によって記憶が意識に刻まれて思い出となり、また新しい考えや自分の生まれる前の意識に変化が生まれるようになっているのです。
無(生まれる前の意識感情)→生まれる→有(肉体を通じて得た刺激によって変わる意識感情)→肉体が無くなる→無(新しい記憶や経験が新しい意識感情に変化)となるのです。
生まれる前の意識感情から肉体を通じて得た経験が新たな意識感情に変化させることによって未熟な魂から成長した魂に変化すると言うことになる意味となるのです。
となれば死ぬ間際に人間は何を想う描くかが非常に大切な事になるのです。
死ぬことはとても恐怖ですが、人は死を経験した事がないから恐怖となる訳であり、死んでも何らかの幸せになる保証があれば恐怖を克服することも出来ることになるのです。
よって死ぬ間際に死の恐怖の克服が意識感情によって大きく作用することにもなるのです。
今までの人生を振り返って良い人生だったと言えるようにならなければ死による恐怖すら安堵となり、その感情を持ったまま死に至るのです。
死に至れば感情の持ち越しとなり、もし人生トータルして良かったと思えたならば安堵した感情に支配された想念によってその意識感情が永遠に残り続けると言うのです。
ならば死ぬ間際まで心の安心感を持てるものさえあれば良いのです。
見えない世界への不安を安堵に変えてしまえば良い意識感情を今から始めてしまえば良いのです。
何らかの自身が安堵できる対象を自分なりに見つけてしまい、あたかもそうであると一念発起してしまえば想念となり、感情世界に至ることになるのです。
これは仏道に入れとの意味ではなく、常に目には見えない世界から得られる幸福の担保が自分にはある、死んでも幸せになれると言う確信から得る世界だと理解に至るのです。
想念の世界が具現化された世界を生むが、想念のみの世界もまた自分であるのです。
自分には肉体がある、肉体が無くても自分があると認識する必要があり、肉体が無くなれば意識の変化は不可能なのです。
よって意識感情が働くうちに想念を働かせて幸福であると認識する必要があるのです。
死んでも幸せだと今のうちに認識しておけば死んでも永遠に幸せだと認識できるのです。
このように意識することで得られる感情が高まり何らかの心の拠り所が必要となるのです。
皆さんが真の幸せを得るならば心の拠り所が必ず必要であると考えるのです。
心の安心感は実生活にも心の余裕を与えてくれるのです。
娯楽だけに走らず真の幸せを心に留める必要が今の日本いや世界の人々に必要であるのです。