生命の大切さを知る

この世の中には無数の生物の生命が溢れており、繰り返し生命の誕生と死が巡り巡っているのです。
一般に当たり前のように感じる自然界の在り方かもしれませんが、改めて考えるととても神秘的かつ刹那的であるのです。
いつか肉体は衰え歳を重ねていく度に地球上での生活で学んだ事を記憶に残し天へ帰っていくのです。
全て生きている生命全てが体験する事であり、新たな生命を残し、後世に伝えながら繰り返し生命を繋いできたのです。
新たな生命に我々は未来が良くなる事を願って、子孫繁栄を目指し伝達していく事が地球上では必要とされているのです。
生命がどれだけ貴重なものであるかを改めて考えれば、安易に生命を無下にする行為は許せないのです。
昨日は沖縄慰霊の日で20万人もの生命が数十年前、つい最近の話でもありこの惨劇を我々は真摯に受け止めなければならないのです。
国同士で争う意味とは一体どういうプラス要因を生むのでしょうか?
確かに他国からの攻撃は阻止しなければなりません。その際に何らかの対話、交渉などを講じた取り組みが必要なのです。
武力では無益な結果を招くと理解できるばすの争いであると認識できるはずなのです。
生命は誰のものなのでしょうか?
生命は自分自身のものであり、唯一の自分の為にある産物なのです。
生命が生まれてきた事は何らかの要因があっての結果として今の自分を誕生させているのです。
いつしか人は何らかの形では生命が尽きてしまうのですが、自分を作ってくれた者への感謝も絶対に必要なのです。
生まれて来たことは特別な行為だとして考えることができる、全く同じものを天から授けてもらうことは出来ないのです。
だからこそ生命を尊重して今この地に宿った我々の生命を粗末にしてはならないと思うのです。
未だに世界では武力行使による弾圧や利己主義による民衆への圧力を通し続けている国があり、無益な行為だと気付くべきなのです。
民主主義が平和への第一歩である事は、世界的に見ても人権が担保できる唯一の思想となり、個人の生命を守る意味でも必要は取り組みであるのです。
自己権益を施行して得られる先に何を見出そうとしているのでしょうか?
一体何を考えて目先に囚われているのだろうかと理解に苦しむのです。
歩調や調和の取れた世界観が今後は特に必要であり、コロナによって経済が低迷した事から見出すものがあるはずなのです。
まさに協力した世界の相互に支援策を見出し持ちつ持たれつの関係性の向上に努めなければならないのです。
生命を守る為の世界協調でなければならない、そして我々が繋いでいかなければならない生命が平和によって齎される事を理解しなければならないのです。
コロナで生命を亡くした方々、弾圧によって生命を亡くした方、戦争や組織テロ、人種差別など様々な自分の勝手な理由で他人の生命を安易と奪ってしまう行為すら自身の成長を妨げているのです。
自分を知れば他人を知れるはずなのです。
人は一度きりしか生命が無いのです。
その意味を世界中の人々がいち早く気付き、無益だと判断出来る咀嚼した考えに至るようにならなければならないと感じるのです。
いつしか生命は元ある場所に帰依するからこそ、今の生命を目一杯に生きていき、楽しみならが苦しみを乗り越えていかければならないのです。
何事も明るく前向きな思考で毎日の生活を豊かにすることが真の幸せにつながるものであるのです。