人間の在り方

いつか人は元ある場所に帰ることを約束されており、その為に我々は生命を受けてこの時代に生きてきたのです。
よく聞く言葉ではありますが、まさに我々は肉体が主では無く、意識(想念)が主となり今の地球上の因果を創り出しているのです。
肉体は一時的なものであり、我々肉体は五感によってしか情報を得る事ができないようになっており、五感から得る情報を基に色々な出来事の感情を誘発させて心に刻み、記憶に残す為に必要な肉体であるのです。
想念は肉体が無ければ変える事ができない、肉体を必要としない限り感情を変化させる事が出来なくなっているのです。
肉体を通じて得た経験が魂に宿り、生涯の思い出として記憶に残るのです。
そして生涯の経験が自身にとって何よりも変え難い価値を見出して自分が振り返る際に、無形の幸せを得る事が我々が生まれきた意味となるのです。
単に生まれた、死んだの話ではないのです。
生まれた理由が必ずあり、何んらかしらの使命ややり遂げなければならない理由があるから生命として肉体を作り、実社会から得る経験に対して見出していくのです。
このお話は他人事のように受け止めてはならない、自分事として受け止める必要があるのです。
肉体はまさに従であり、想念を通じて肉体を稼働させているのです。
ならば意識から発するものが善や愛、慈悲、調和、協力などといった世界観で満たされていれば、自分自身や周りが幸せな環境を作り、生涯に渡って人生が幸福と実感できると理解できるのです。
人生の幸福とは周りの人間関係から成り立つものであり、単なる物欲に満たされた世界が本来我々がこの世に降り立った幸せでは無いのです。
人間は目の見えるものしか信用できない普遍的な特徴があり、心を見抜く力があればきっと誰もが幸せになると思うのです。
何度も申し上げますが幸せの定義は物欲からなる幸せでは無く、家族、恋人、兄弟などの良好な関係性が真の幸せに繋がると理解しなければならないのです。
更に近所の人や他人にまでも優しく接していき、自分の行動全てが周りに良い影響を与える存在こそ、最終的に得る真の幸福だと断言できるのです。
これは哲学でも宗教でも無く囚われない言葉として、真の人間の在り方だとお伝えしているのです。
生きている以上、我々は課せられた問題があるのです。
それは、性格だったり自分には当たり前だと思う事が違っていたり、真の幸せは他人との調和だと理解していき更に自分の個性をアピールすべきなのです。
周りに配慮した結果の自己の表現なのです。
単なる我がままでは誰一人頼ってはもらえないのです。
だからこそ人間は他人を思い、足りない部分を補え合える存在として今世を全うしなければならないのです。