決められた生命の結果は?

コラム
2021.06.29

我々は生命をどのように考えていけば良いでしょうか?

生命はいつか終わりを迎えていき、滅びゆく姿がどうあれば自分にとって素晴らしい人生だと感じるのでしょうか?

これは今生きている全ての人々が必ず直面する出来事であり、生命とはどのようなものでなければならないかを考えなければならないのです。

もし自分の人生を真摯に向き合うならば、生命尽きる直前まで信じ続けることが、想念となり自分の望む世界に運んでくれるのです。

そう考えれば、普段の我々の行動ひとつひとつが大切に思えてくるのです。

人に優しくもなれますし、人に対して感謝も出来るのです。

困った人には利益を度外視した行動を取り、自分が困った際には必ず自分に助けが起こるのです。

助けを求めるならば、普段から困った方に差し伸べる事が必要であり、巡り巡っての恩恵を受ける結果となるのです。

損得勘定での日常行動では何も自分に良い出来事も起こることも無く、ただひたすらに時間を消化していく、野球で言えばもう負け越してしまいクライマックスシーズンにまで食い込むことが出来ない状況が確定したようなものなのです。

そのような心境を消化試合の如く、日々を過ごしていかなければならないのです。

人が死ぬ際にどのように感じて肉体から離れていくかが最大の人生のテーマとなり、生きてきた経緯を振り返ってみて、自分が納得して死ねるのか?が一番人生の生き様を物語れる証拠ともなるのです。

まさに生命は生きる全ての自身の業(ごう)に集約されるのです。

業(ごう)とは、カルマに由来しているが、全て自身が起こした動機から行動、結果によるものであり、良い行いから発するものは徳となり、悪い行動の結果は業となるのです。

カルマの法則などまさに同じ意味を持ち、仏教や様々な宗教では生きる意味は全て、自分が生きてきた結果が今の自分の状態を作り上げているのです。

生きる事がキツいと感じているならば、まさに自分に問題があり、自分が矯正するもしくは反省するなどと言った見直しや見定めを行い、自身の性格の改善を迫られていると認識しなければならないのです。

生きるテーマ、今世のテーマを予め決められた宿命の様な大まかなストーリーに沿って自分の運命を自分なりに形成していく事が生命誕生の意味を持つのです。

生命が誕生した意味を深く考えると、今の日常で起こる出来事も刹那的に写り、新たな自分の境地を常に見出せるのです。

生命が決められた時間内でしか生きられないからこそ、自分がしなければならない使命のような意識が芽生え、活動意欲が湧き起こるのです。

未来に自分を描く、夢を描く、自分がこうなりたいと豪語できる自分でなければ、今世を悔いなく全うする事が不可能なのです。

いつしか人は何にも縋る(すがる)気持ちを持たなくなり、他人と自分を常に比べて優劣を定め、それが人生の勝ち負けとして判断してしまっているのです。

このようなくだらない価値の見出し方が本来人間として生まれてきた意味を持つのでしょうか?

優劣で全てを括り、全て優勢、勝る、優位など他人比較による承認欲求で自分の価値を自分で見て、それに酔った状態こそ、煩悩に満ち溢れた状態を指すのです。

本来、勝る者は全てに対して慈悲の心で最終的な結末で締め括り、時には勝る力で対応、またある時には優しく相手を宥めるのです。

それが真の勝者であり、強きものが弱き者への慈悲なる気持ちに変わるのです。

生きる事を誤認しないように常に自分が浮き足立たない自分であるかが毎日問われているのです。

自分を客観的に見る力が必要であり、他人比較より自分が他人に対してどのような対応をするかが問われるのです。

全ての人々が平和に暮らせる生活が真の自身の喜びである事を気付いたならばきっと素晴らしい人生であると認識できるのです。

 

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