見えないものと向き合うことの必要性
コラム

2021.06.27
何故、同じ日本人同士歪み合うのでしょうか?
自分の価値観を他人に押し付けあたかも自分が正しいと言い張る行為に嫌気が差してしまうのです。
自分の心が枯渇してしまった状態とも取れる心の有り様が、他人にすら妥協しない、許さない、社会からの追放と言った具合に精査する、または違う視点から物事を判断する力すら見当たらないのです。
この状態では死に際に思う感情が一生の残り続ける結果となり、信じるものは自分だけの境地に陥ってしまっているのです。
何故、このような人格となるのでしょうか?
人が人であるならば人間が本来あるべき姿、自分が目指す姿すら創造していないのです。
目指すべき人間像を自分なりに作り上げる努力を少し持つだけで、他人に対して優しくなれるはずなのです。
もしくは見えないものへの崇敬する心を持ち、全て心の中にいる自分を信仰と言う形で身も心も委ねる事が心が救われる感情に繋がり、他人に対して感情的な発言や行為を抑制させるのです。
なりふり構わずに感情任せにしてしまうと自分自身の立場がどのようなものであるかも理解が出来なくなるのです。
自分と対話できる見えないものに語りかける時間を持ち、自分と向き合う事が何よりも大切なことであると認識できるのです。