本当の自分に出会う

人に対しての恨みや嫉妬、妬みを持つ事は自分の成長性を阻害させるものとして理解しなければならないのです。
対人関係においてマウントを取り自分の優位性を保つ事が優越感となり、あたかも幸せと感じている人格こそ自らの成長を止めているのです。
何故そこまでして自身の承認欲求を満たそうとして他人との比較にこだわり自身をより良く見せる必要があるのでしょうか?
こだわりや成長に向けての努力として必要な取り組みは良い意味として自分や他人に影響を与えるのですが、無闇に他人との比較に躍起になり成長の為の行動が単なるエゴになりかわってしまう結果となるのです。
他人がどうであろが、羨むような感情もまた煩悩であり、その煩悩から嫉妬や怒り、妬みに転嫁していくのです。
肉体を持てば日常の行動から受ける結果が感情に反映されて、今の心境を作り出しており、日常そのものの行動こそ自分の心の現れとなった態度や言動に変わっているのです。
他人を羨みや嫉妬や怒り妬みを持てば当然、現れる行動や言語には妬み言葉や恨み言葉などが発言として現れて、他人に対しての優しさや労りの無い行動となり自滅を自ら呼び込んでしまう結果となるのです。
自滅とは嫉妬や妬みや怒りの感情を周りに撒き散らす行為を指しており、煩悩を持つ事こそ自身の破滅を自ら導く結果となってしまうのです。
煩悩からの行動の全ての結果は、マイナスに働く行為だと認識しながら日々を過ごす必要があり、自制心を養い、周りへの労りや感謝を常に心がける必要があるのです。
それが我々が転生してきた事の最大の目的であり、単に視覚的に優れたものが全て正しく、間違いがないとは限らないのです。
いくら他人より劣等感を抱いたとしても、他人は他人と割り切り、自分は人間として正しい行為や周りへの配慮、善なる行動を取っていると自覚しているのならば何ら問題ないのです。
感情任せになり、他人を傷つける、又は自分のエゴの行為こそ最大の愚行として鑑みる必要があるのです。
何故、生まれて今を生きているのか?
この意味を理解するのは非常に難解でありますが、ただひたすらに今を善なる行動と言葉で繰り広げる行為に真の理解を得られる結果となるのです。
まずは格好から入り、真理に至り知ることに繋がるのです。
物事を極める意味があるように最初から全てを知れる人などいないのです。
例えばゴルフを始めていきなりスコア60台で回れる人など居ないのです。
しかし、まずは身なりから始まり指導のもと徐々に進歩して上達するのと同じ意味を持つのです。
真理を知るならば、まずは半信半疑でも良いので迷いを捨て、良いと思われる行動に移し常に意識し続けるのです。
それが結果、当たり前の行動となり日常の行動が善なる行動へと転嫁されると認識しなければならないのです。
要は自分がされて不快だと思うような行動はしないこと、そして人が笑顔になるような行動を自ら率先して行う必要があるのです。
まずは怖がらずに当たり前の行動を変える事が人生を良い方向に変えることだと認識しなければならないのです。
常に真実を知るならば善なる気持ちを持ち続ける事が本当の自分に出会えるのです。