本来あるべき人間の姿に戻る

今の日本人が仏教の教えを無碍にしてしまい、本来あるべき人間の姿を見失い、他人への慈悲の思いすら無く、ただ日本の法律に抵触しないような殺伐とした排他的精神に感じてしまうのです。
これは日本が脈々とDNAに受け継がれている、他者への補助的対応を当たり前とした、人間として当然あるべき他者への配慮が欠如しているのです。
他人を思うからこそ、そこに人間としての美しさ、いわゆる美徳として他者を思う気持ちが根付いたのです。
しかし、今の日本人は他人を平気で傷付けることで自身の鬱憤を晴らそうとした発言や態度を取り正当性を貫いた利己主義に陥った人間が多く存在しているのです。
何と住みにくい国なのでしょうか…
日本人同士で助け助けられ合いながら共存していた時代が昭和頃までは普通に日常で行われていたのです。
私が幼い頃には、1人留守番をしていても近所の方が自宅の様子を見に来て心配してくれたものなのです。
また、祖父母は仏壇に対してご先祖への感謝を常に教えてくれたのです。
このようにして我々は家族やご近所の人間関係によって支えられて来たことから、道徳心を養いながら成長してきたのです。
しかし、時代が核家族へと変わり他人を思うことへの煩わしさを感じてしまい、昭和時代にあった三世代家族構成やご近所との協調などの姿も無く、ただ時代の変化に合わせるかのように他者との距離を測ってしまった社会に変化してしまったのです。
ご近所同士の挨拶も無く、ただ顔を合わせず他人は他人と言った姿があるのです。
地域のコミニティーや活動があったとしても形式的な活動からなる対人関係を仕方なく果たしているようにしか写っていないのです。
真の人間関係を構築させるならば本来あるべき、日本人同士が心から通い合う社会的コミュニケーションを図らなくてはならないのです。
他人同士が協調し合いながら共に生きていく姿勢を持ち、自我のエゴを捨てていかなければならないのです。
助ける事、心配する心を持ちながら近隣同士のコミニティーを形成していく必要があると言えるのです。
