政治思想への考え方を変える

オリンピック閉会して我々に感動はあったものの、本当にこれで良いのか?と疑問に残る場面は多々あり、広島長崎の平和式典での総理の失態から推測される政府の真意が見えてくるのです。
単なる式典を行事的な扱いと認識するからこその長崎平和祈念式典の遅刻であったり、広島平和式典の文章の読み忘れは非常にモラルを欠く失態であるのではないかと思うのです。

これからパラリンピックが開催される予定ですが、障害を持った方々が必死になって戦う姿を見て我々は勇気と希望を見出すことでしょう。
しかし、現実問題として我々はコロナによって追い詰められた者からすれば、オリンピックパラリンピック開催から得るもの以上に経済の立て直しや、ワクチン接種への希望の光を求めてしまうのです。
そこには政府からの誠実な対応が求められており、一年半もの我慢を強いられている我々に対して具体的な改善策や援助策を実施していかなければならないのです。
締め付けばかりが先行して目立っており、具体的な我々の援助への支援は足りないものがあるのです。
既に、政府の支持率が30%を下回った調査報告がでており、この数値は危険水域に相当したものであるのです。
何故、ここまで下がる意図を理解しようとしないのでしょうか?
国民1人ひとりの悲しみを知ろうとしないからではないでしょうか?
単に置かれた立場の業務を完遂するために流れ作業のような感覚が先行しているのではないでしょうか?
どうしても理解が出来ずにおり、貧富の差が益々拡大するような状況を政府自ら作り出しているのです。
政治とは一体なんの為にあるのかを改めて一から考え直しさなければならないと思うのです。
政治とは民衆の意見を取りまとめ、不当性の無い誰もが幸せに暮らせる世の中である憲法の下にあるべきなのです。
しかし、政府一党の独占的な取り組みから見え隠れする画策とも取れるような政治倫理観の欠如から我々への人権や生活が脅かされるものになっているのです。
今の政治に対して物申しても、忖度や圧力によって意見や発言すら出来ない状況をメディアから風潮を作り出しているのです。
何の為に頑張ってきた我々の努力の先がこのような無残な結果として残ってしまった事が政治不信と言う世論調査を弾き出してしまったのです。
このまま衆議院選挙から新たな政治家を選手したとしても、選挙制度を変える必要があり同じ過ちを繰り返すばかりの古い体質からなる日本の後退的な衰退国に成り下がるのです。
新たな改革を持ち、今の時代に見合った政治思想を持ち、また国民1人ひとりが自分ごととして政治を見ていかなければならないのです。
それに早く国民も気付くべきであり、いや…もう既に気付いているはずなのです。
上っ面の政治論争はもう終わりにして、新たな選挙制度を用いて我々の生活基盤を作り上げていただきたいと切に願うのです。
このままいけば必ず国民の怒りは限界に達して秩序やモラルが無くなった社会になることが鮮明に浮かび上がってくるのです。
皆さん1人ひとりが意識を集めて政治に向き合う姿勢が我々生活の改善に変わる事を認識しなければならないのです。
ひとりでも多くの人たちが救われる事を祈っているのです。
