乗り越えていく精神の先

人生を自分らしくいきるならば、何が一番必要なのでしょうか?
結局、幸せだと思う理由は自分の家族であったり、親愛なる嫁や子供たちの意識から得るものではないでしょうか?
物欲主義での幸せなど一時的な感動だけに過ぎず、今の記憶として残るものは相手からの感謝の気持ちや相手への愛念なのです。
よって毎日に必要なものは、対人関係への感謝の念と愛する念が必要となり、相手に伝えることに対して更に増強される状態となるのです。
感謝と愛と言う漠然とした意味合いで理解するのでは無く、感謝や愛という言葉の意味を深く理解しなければならないのです。
相手がいるから自分の今を創り上げているのです。
相手の言動から得るものこそ、自身の成長を助長させているのです。
例えば、両親が発する言葉であったり、学校の先生であったり、友達、兄弟、職場仲間など対人関係があるからこそ、我々は考える力を与えてくれている訳なのです。
常に日常には自分への気づきのヒントが隠されており、自分の新しい刺激や感動が毎日のように現れてくるのです。
新たな自分作りは毎日の日常から変えて訳であり、カスタマイズしながら人生を突き進んでいくと考えるのです。
そのように人生を100歳までと仮に考えた場合、100歳までにどのくらいの魂を成長させる事ができるか?と理解すれば日常の行動や対人関係への配慮を欠く事が無くなるのです。
例えていうなれば、ドラゴンクエストの主人公が自身だとして主人公の寿命が100歳までとした場合、レベルをどのくらいまで上げる事が出来るか?と言うゲーム感覚として置き換えても面白いのではないでしょうか。
当然レベルの上げ方としてモンスターを倒す事で自身のレベルを上げていくのですが、我々の日常のモンスターとして、仕事の悩みだったり、クリアしなければならない難題だったりするのです。
人生の難題に直面した場合に、モンスターをどのように倒してクリアして自身のレベルを引き上げていくのかを考えていかなければならないのです。
生まれる前の自分と生まれて人生100年を全うした場合とでは、魂の経験値が雲泥の差として得たことになるのです。
だからこそ毎日が辛かったとしてもそれを乗り越える精神力が求められる訳なのです。
また、モンスターを倒せない場合、自分の何らかの癖が攻略の妨げとなっていることを理解しなければ活路を見出せないのです。
クリア出来ないにはクリアできない理由が自身にあると理解するなです。
自分は悪くないなどと答える者は、責任転換しているだけであり、客観的視点から自身の行いを把握していないと言う証拠なのです。
自身の力などただが知れているのです。
その自身の力を過信するのではなく、ドラゴンクエストの主人公と仲間たちがいたからこそ、強敵を倒して自身のレベルを上げていくのです。
よって我々も日常で交差する人間関係もまた、仲間として共に協力してこの日常の難題をクリアしていかなければならないのです。
例えが極端な例になりましたが、何かの困難に立ち向かう場合、仲間がいて初めて連携した姿勢で難局を乗り越えることを意味しているのです。
我々は1人では生きてはいけません。
仲間と共にこの世知辛い世の中を善なる精神で渡っていかなければならないのです。