目の前の困難に背を向けないこと

浄土真宗の歴史は古く、来年2022年で開祖から850年を迎える事となったのです。
850年前の日本の生活は一体どのような街並であったのでしょうか?
当然、生活インフラ整備もなく病気にかかれば薬も無く、ただ祈りを捧げるだけの毎日であった為、いつ生命が亡くなるかわからない生死といつも隣合わせの生活であったのです。
トタン屋根の様な家屋で暮らし、水道も無く井戸水や湧水を飲んで生活をしていたのです。
その中で必死に農民は農作物を耕す為に汗水を垂らしながら働き毎日を生き抜いていたのです。
希望すら見出せないままに人々は幸せの在り方を常に求め続けていたのです。
娯楽と言う娯楽も無く、ただひたすら生きる事を強いられた生活事情であった事から、当時のお坊さんは教えを民衆に説いたのです。
どうすれば幸せになれるのか?
どうすれば死んだ先に幸せな世界が待っているのか?
今、生きることは辛いかもしれないが、阿弥陀如来の御慈悲を給うことにより、死後の世界には極楽浄土の世界が待っていると親鸞聖人は民衆に説いたのです。
阿弥陀如来は弥陀の誓願を立てており、誰もが救われる世界に連れて行ってくれると約束をした大変有難い存在なのです。
当時の僧侶は修行により、悟りを極める過酷な戒律を自身に与える事で極楽に帰依するものとされていたのです。
しかし、親鸞聖人は一部の修行をしたものだけがあの世に彼岸した際に極楽浄土に行けるような思想は間違いであると唱えたのです。
人間は誰もが平等であるからこそ救われる権利があると主張したのです。
そのことから浄土宗の法然上人の下で教えを給わり、自身で新たな教えを築きあげたのです。
しかし、天皇中心社会であった当時では民衆が教えによって権力を奪われてしまうと危惧した事で、法然上人と親鸞聖人は流罪を言い渡されてしまうのでした。
親鸞聖人は流罪によって北陸地方に渡りながら諦めずに浄土真宗の教えを広めようとしたのです。
関東地方では今の茨城県にあたる地域でも親鸞聖人は浄土真宗の教えを広めていき、南無阿弥陀仏の一念発起する事により、誰もが救われると説いたのです。
ただ一念発起するだけで極楽浄土へと帰依する教えとして民衆に絶大な指示を受けたのでした。
生涯に渡り、親鸞聖人は自身の生命を賭けてでも広めようとした意図を考えれば、今の時代も変わらず心の拠り所として阿弥陀如来の慈悲に我々はすがる必要があるのです。
我々が今直面しているコロナ禍によって奪われた生活が正に当時の時代世相を物語っているのです。
常に時代は変わりながらも人間の心の在り方は昔も今も変わらないのです。
人は誰かに救いを求めながら生きていく動物なのです。
それは智慧を持った証でもあり、未熟な魂を成長させる為に肉体を与え、様々な経験をさせながら魂の向上を図る必要があるのです。
単にたまたま生まれてきたなどと言う考えでは決して無いのです。
人は見えない者への依存心が常に働き、自己肯定しながら自身の身の振り方を考えながら生きてきたのです。
何が正しくて何が間違いなのかを人間は悩み手探りで探しているのです。
その悩みも先人たちは同じく悩み苦しみながら生活をしてきたのです。
その苦しみの中で見出したものが仏教の教えであり、救い救われる教えとして今も語り継がれてきたのです。
人が成長する事は並々ならぬ苦労が伴うかもしれませんが、苦労を克服した暁には信じられない自分に成長している事を実感するはずなのです。
辛いからこそ逃げずに立ち向かう必要があるのです。
逃げれば逃げる程、その問題は大きく膨れ上がり、自分の力では到底対応出来ないものに成り代わってしまうのです。
難を最小限に抑えたいならば、目の前の問題から背を向けずに向き合い、対応する必要があるのです。
もし自身が困難に立ち向かって苦しみを伴っても、必ず誰かが助けに来てくれるのです。
勇気が周りを動かすのです。
まずは今の自分から逃げないことが必要なのです。
これは紛れも無い事実として認識して頂きたいと思うのです。