精神のコントロールが意味するもの

コラム
2021.10.01

人の成長とは一体どのように理解していますでしょうか?

単に身体か成長したと言った話では無く、精神的な成長が成される為の意味としているのです。

精神とは自身が物事への捉え方をどのように真摯に受け止めていけるかの状態なのです。

利己主義に陥った人間は物事への執着が異常なまでに高く、他人の気持ちを察する力が無いのです。

典型的な人間の本能を持ったとしても、本能の捉え方を理解した本能の使い方を持ち、自分自身が肉体を持たされたことにより、精神に影響する五感の刺激によって本能抑制をうまくコントロール出来なければならないのです。

本能欲と利己的欲望とは違い、本能欲は食欲や睡眠浴、性欲が基本となり、更に輪をかけて自身の欲望が上塗りされるのです。

本能欲からなる食欲は単に腹が減ったから何かを食べなければならないと言う生命維持装置が働き、更に生命維持以上に自身の欲望として、焼肉が食べたいや、寿司が食べたいなど言った美食価値を含んだ自身の好みが欲求によって支配されるのです。

基本的な本能からの延長上にあるものは、全て人間の社会通念やモラルなどの抑制が何処まで自分を戒める事に繋がるかを知る必要があるのです。

よって我々に必要なのは、身体を持った時点から精神と肉体の両輪からなるバランスを持ち合わせていきながら、本能機能の維持を保ちながら、本能に従い、自身の欲望への執着を抑えながら自身の言動を慎まなければならないのです。

生きる事は非常に難しいともとれますが、肉体を持つ事で得られる精神への影響は計り知れない作用があるのです。

更に多数の意識を持った人間同士のやりとりが交錯するので、当然自分のエゴを先行させた振る舞いが中心となるので、横柄とも取れる振る舞いや発言もあるのです。

しかし、逆に言えば多数の意見やエゴが交錯するからこそ、さまざま考えから新たなヒントが生まれて来る、更に色々な悩みや葛藤から新たな新境地へと変化していくのです。

精神と肉体とのバランスを取るには、欲望へのコントロールを上手く制御する事が絶対的な人間への条件となるのです。

本能から得た学びこそ、魂の向上に繋がるのです。

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