最善を尽くす中の選択
コラム

2021.10.02
肉体を持つと本当に不便であり、老化していく肉体への疲労や病気、聴覚や視覚などの機能への衰えが精神への負担となり、不快感に悩まされてしまう状況に陥ってしまうのです。
身体機能の低下は年齢を重ねるごとに衰えてしまうのですが、それに抗うからこそ精神疲労が伴ってしまうのです。
仏教的に言えば全て受け入れる事が全てであり、抗う事なく定めとして自分の生き方を認めなければならないのです。
今の連続が今の自分を作り上げている訳であり、今この一瞬こそが自分の最善なる考えなのです。
今が今として連続に連なった状態が時間となり、時間としてカウントされていく中で我々は生きているのです。
よって時間の中で我々が生きている状況こそ、我々は最新であったり、最善であったりするのです。
そして、その考えや行動が最善であるとしたならなば、一般的な善なる行動や発言は最善の中の良心的行動であり、人間としてのモラルに則った善人となるのです。
また逆も然りで、最善の行動の中の一般的に悪なる行動や発言は最善最新の中にある悪人となるのです。
最新の悪人と最新の善人と二手に分かれるのです。
よって自身はどちら側に属した人間でありたいかは自分で選択して人生の最善を尽くさなければならないのです。
悪の限りを尽くした人生なのか?
善の限りを尽くした人生なのか?
どちらを選択しても天や神、仏はただ見守るしか出来ないような世界観となっているのです。
自己を如何に成長させるかは自分にかかっているのです。
自分で道を開いたいならば、自分に正直で無ければならないのです。