智慧の会得を見出す方法

コラム
2021.11.27

世界には今もなお政府軍と反政府軍との紛争が行なわれており、生命が奪われている状況は時代が変わる度にひき起こり、悲しみが終わる事の無い時代変化となっているのは、過去の人権問題や主権紛争からなのです。

人はそれぞれの想いや感情を持ち、自身の人生とも言うべき存在価値を勝ち取る為に、生命をも賭けて主張を繰り返す姿勢からなる紛争でもあるのです。

しかし、それは一時的な感情の発端から始まり、今の環境維持や環境変化に対する抵抗でもあるのです。

その為に人は生命までも賭けて戦い、自身の家族や生活の安定を誇示する為のものなのです。

世界情勢は刻一刻と変わり続けるからこそ、世界の人々の感情や価値観は変わり続けるのであるからこそ、国々の指導者の意見や方針が変わり、我々国民まで落とし込まれる際に、ひき起こる紛争となってくるのです。

一国民が平和を得るには相当な苦労が付きまとい、政府の方針を進めていく事は、我々国民の生活を常に圧迫させているのです。

今回のコロナウイルスでも解るように、政府の方針により、我々の生活自体が奪われている、当然ウイルス対策だからと言う理由からなる抑制を強いる我々に対しての強制措置が、ワクチン接種後の経済活動が全ての結果に至り、貧困や雇用解雇などの生活に直面しているのです。

そこに我々の民意が如何に政府に届き、我々の生活を安定的に回復させるかが問われる問題と同じ意味を持つのです。

国全体を考えた主導には、必ず痛みが伴ってしまうのは理解できるが、我々国民の実生活がどのようなものか?を本当に政府は理解しているのかが1番の問題なのです。

政府など役所関係などは粛々と業務を行い、我々の税金から生活保持を行っているからこその、真の対応が求められる訳であり、自分は関係無い、コロナ禍によって悪影響に陥った生活者にも心底からの感情があるかどうかなのです。

国の決まり事、法律や規律だから仕方無いと言う気質があり、他国のように紛争を起こしてまで、自身の意見をぶつけるような国柄では無いからこそ、政府に求められる倫理観や我々への慈しみの対応が求められてしまうのです。

人が道端で暖をとれない状況を昨夜、岐阜市の街角で歩道を歩きながら、老婆が座っている姿を目にした瞬間、何も出来ない自分に悲しみを覚えたのでした。

どうすれば全ての方を助けることが出来るのか?

どうすれば悲しみの無い世界に全ての人が思えるのか?と自分に問いかけたのでした。

ただただ、祈るしかない事しか出来ない自身が今の感情や文章を作り出しているのです。

だからこそ、生命や人々の幸せを平等にしていく必要があり、共に助け合う世界観を持つ必要があるのです。

小さな事から考える力が我々には必要であり、例えばゴミを道路に捨てない事や廃棄ロスが無いようにする事、譲り合いの精神を持つ事、自分勝手な振る舞いは避け労わる精神を持つ事など世界統治が平和的政策に基づくもので無ければならないのです。

他人と比べて自分の生活が劣っているから傍若無人に振る舞う行動を取っても良いと考えてはいけないのです。

全ては自身が過去の行いによっての因果から今の自身の生活基盤を作り出しているものに対して、他者と比べて嫉妬や妬みを繰り返す行為は今の自身を更に悪化させてしまう行為となるのです。

生きている以上、我々は真の人間となる為に、今までの自分から更に精神向上が求められていると言う事を念頭に置かなければならないのです。

生きていく中で学ぶのは知恵では無く、智慧を会得しなければならないのです。

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