無意味さを知る

世界の出来事が日本メディアにリアルタイムに放送される中で、我々は過去の世界大戦から学ぶべき歴史観をしっかりと認識して、世界平和を尊重、重視すべき取り組みを様々な角度から、日本の平和の未来を考えていくべきなのです。
確かに世界が何らかのきっかけによって、侵略が平然と行われてきた過去があり、当時の国家間が武力によって多数の犠牲者が亡くなったり、戦死した無念とも言える方々の生命など、一部の狂乱した独裁者が存在したのである。
陣地を取り合う事よりも、人種の好き嫌いなどによって吊り上げられた的のように殺害を企てた過去の歴史が今、また同じ事を繰り返そうとしているのである。
我々の正義の為と言い張る、間違えた主張を正当化して、国民の支持を煽りメディア操作により情報を捻じ曲げて世界に報道しているような国家が果たして世界を牽引していけるのか?疑問に思うのです。
本来あるべき国家体制とは1人の思想から塗り替えられたような個人的私見から成就するものではないのです。
どの歴史の大戦も1人の偏った人間の意見から他人の生命や犠牲をはらむものを厭わない考え、またその生命すら全く考えずに自身の狂気した考えこそ正しいと理解出来ない状況に陥っているのです。
結果、狂った人間はいずれ裁かれ失墜するが、そこに至るまでに多数の生命が奪われてしまうのです。
だからこそ、人間の倫理観やモラルのような愛念を持った精神性が常に我々に問われるのです。
世界を支配したり、一国一強の時代などいつの時代も崩壊して、その際必ず人々は真の世界平和への願いとして無意味な戦争を起こす事を躊躇する、もしくは反対する人間が大多数占める世界意識統一になる日が必ず訪れるのです。
戦争は無意味であるり、無意味だからこそ、戦争に対して無感情にならなくてはならないのです。
争いは無意味である事を知るべきであり、戦争は悲しみしか生まないこと理解すべきなのです。