自己の進化

いつも思う事があり、いつも全く違う性格の者同士が人間が生命を誕生させる。
そこから全く違う性質を持つ者が生まれてくるのは何故なのかと不思議になる。
男性の種には何万や何千から唯一卵子まで辿り着く、強い遺伝子の競争は既に始まっており、この元となる子孫が性格や特性を成形する肉体などの最善を作り上げた結果の自分となるのである。
しかし、肉体が自分であるとの概念ではなく、単に地球上での子孫繁栄に導かれた肉体を形成するだけの形作られた生殖行為の結果に過ぎない肉体に宿る自分の土壌になるのです。
その土壌が自分の人生をも軌道させてしまう。
例えばジェンダーによって生まれて来た時点に決められた定めに逆らえないものであったり、自分の不可抗力によって自分はこのように思って生きているのに何故か理解してもらえないジレンマに悩まされたり、そんな悩みに対してどうすればより良く自分らしく生きて行けるのか?と悩み続けなければならないのです。
生命を作ることがこんなにも苦労や精神の苦痛に耐えなければならない人生、生命ある限りに常に自分を悩ませる問題がつきまとうのです。
人は完璧を求め、自分の無いものねだりをしながら生きていくのです。
もう少し身長が高ければ良いのに…女として生まれてきたかった…もう少し頭の良い学校に行けたら良いのに…もっと美人だったら…もっとお金持ちの家に生まれてきたらなど…
しかしそれは自分の足りない存在として、不完全な自分として受け止めて生きていく事、自分の成長に繋げて生きていくように反骨精神を持ち生きていきなさいと天の計らいであると解釈せざるを得ないのです。
未完全な世界が地球上にあり、完全体に満ちた世界はこの世にはなく、未完全な世界が三次元なのです。
証拠として雄蕊と雌蕊、男と女、互い違いの関係性が未完全同士として互いに補い合っているからなのです。
未完全な世界にいる生物だからこそ、未完全な生物は進化を余儀なく迫られる結果我々は成長していき、未完全な状態は地球の環境が常に揺れ動く証拠でもあるのです。
仏教用語では諸行無常の世界観であり、常に留まる事が無い普遍的な世界に共通した定めなのです。
それは物質的世界観と精神的世界観の両面が共に我々を襲うのです。
人は悩む事で人は成長することを強いられますが、それを受け入れる為の度量が必要になるのです。
受け入れると否応なしに対応を迫られますが、それは自分の足りないと感じる部分に対してストレスを感じているのです。
しかし、自身にしてみれば死ぬ程辛い時間であり、精神の在り方や考え方まで問われる問題に発展するのです。
辛い時間を乗り越えると違う世界が訪れて、今までの自分とは違った世界観を持つ事が必ず来るのです。
辛い分乗り越えた力が付き、負けない精神が自分を覆い、対人関係や物事への対処能力が向上するのです。
人も動物や植物も自然界に生きる食物連鎖によって身を守りながら自己の進化を遂げなければならないのです。
生物の進化は全て地球上にある全てが対象となるのです。
人間社会も植物連鎖の影響を受けているのです。