自分の姿勢の先

コラム
2022.03.31

徳を使う、徳を貯める、業を背負う、業が無くなる、陰徳を積む、陽徳を実践するなど様々な自身の行いの結果が今の自分の姿を映し出しているのです。

何故、このような状況なのか?

何故、こんな目に遭うのか?

何故、こんな環境下で苦労しているのか?など自分が悪気が無くてもこの状況を作り出しているのです。

仏教的には因果応報として生きているだけの間だけの因果応報では無く、命が誕生する以前から作り出していた結果が、生まれた場所や生まれた環境に影響を及ぼしているようにしか説明がつかないのです。

しかし、科学的な根拠だけでは決して証明できるものでは無く、生きてきた環境も偶然、生まれてきた性格も偶然的な誕生として結果を遡ろうとはせず、今の結論だけで個人の人格を見定めてしまっているのです。

何故このような結果が今に至っているのかは、努力が足りないからと言う理屈が理解できるならば、生まれてきて不遇な状況は自身の誕生前からその状況になる為に見合う自分が既にいたからなのであるのです。

自分の行いの結果の身の丈に遭う状況が用意されてしまったとしか説明がつかなくなるのです。

今の自分が最善の状態として肉体表現、自己確立、状況証拠など環境や状況全てはあなたが今まで作り上げて来た最善の結果が環境として現れているのです。

生きていても自分のみが突出した存在であれば、周りの存在が同じ様な意識や共通項が足りない場合として自身の考えが孤立してしまうのです。それは良い意味でもあり悪い意味でもです。

自分を伸ばす事は良い、自己成長を図る為に努力や意識向上を図る事によって生まれて来た以上、我々に課せられた目標であり、定めなのです。

それは自分の業の解消や徳を積む結果としてあるのです。

常に努力とは良い結果を招く為に考える事が前提となり、良い考えや行いによって自分が変わり、世の中を変える事も可能になるのです。

自分の行いで善なる世界になるのであれば、悪行など一切考えず、世界の平和を1番に考えて行動すれば、自分は幸せになるのです。

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