欲求の無意味さを知る

性格はいつ作られたのでしょうかと疑問に思う事がありますが、単に両親のDNAを掛け合わしたからこのような性格が生まれて来ましたなどの理由では無いのです。
何らかしらの特性を持ちながら出生地や出生時間と照らし合わせながら、60干支を踏まえた性格がおよそで検証ができるのです。
これは占いなどの算命学や四柱推命から導き出された算出によりある程度の性格を示す事が可能なのです。
そして、十干十二支の組み合わせから60通りの性質があり、特徴として人間の性格や思考パターンなどが現れ、自然界の五行と照らし合わせることで、対人との相性なども把握出来るのです。
全て干支により我々は三次元に生まれた際には60通りのどれかの人格に該当するのです。
いわゆる仮想現実をリアルに三次元化する事により我々は体現しているようなものであると理解できるのです。
肉体を持っている自分が主と考えがちでありますが、もし肉体を持っていない場合、三次元に自分を投影すればこのような十干十二支の60通りのどれかに該当するのです。
よって肉体を持った自分が主では無く、肉体を持つ前から性質はあった事になり、変わらぬ性質から三次元化した世界に自分が身を借り、リアルを体現して生まれた世界で魂(肉体を持たない自分)に経験させながら自己を成長させていくのです。
自分は肉体を持つ前から自分と言う存在はあり、自分がリアル体現したい欲求、何らかの物質的価値から得る経験をもとに今以上の自分を高めたり刺激を受けたりするのです。
肉体は滅びても、自身は滅びる事は無く、永遠に自分は生き続けるのです。
では、地球上に生まれなければならない理由が知りたい事にもなるが、体現から自分が物質価値だけに満足せず、本来あるべき智慧の習得をする為に敢えて肉体を与えなければ自分を知る事ができないのです。
智慧とは苦労によって得た先に見える世界観であり、苦労を重ねていく事により、物資に囚われることも無くなり、欲求を持ては余計な苦労を背負う事になる事を知るからこそ、欲求が無意味な存在だと知れるのです。