生活の中に潜む煩悩基本に従う生き方

コラム
2020.12.24

先日、京都に仏教の学びの場として4年前から通い、途中仕事が忙しく休んでおりましたが久しぶりの学業再開として活動を始めました。

私が所属する仏教宗派は浄土真宗で正式な僧侶して得度を致しております。

何故私が僧侶になろうとしたかと言いますと世の中全体の仕組みや在り方が私の思う真の社会とかけ離れた世界であると感じたからであります。

世の中の人々は自分の欲望に従い好き勝手に自分の欲求を満たそうと人を騙し物欲や金欲、名誉欲を掴むような事を平然とやってしまうのです。

そんな世の中に愛想つかせたと言っても過言ではありませんでした。世の中が六道輪廻の世界を行き来しており、煩悩の赴くままに好き勝手に生きている状況を見てとても息苦しさを感じてなりませんでした。

私が仏教を通じて学んだ事は人は天から命を与えられた時、自分の人生過程の中で如何に自分らしく生き人の為に生きれるきっかけを作って頂けました。

もし仏教を学んでいなかったら自分を見つける事が出来なかったかも知れません。その位仏教や宗教と言うのは人間の心の拠り所だと知り得た訳であります。

浄土真宗は親鸞聖人がご開祖であり浄土宗の法然上人の下で学び教えを広めて参りました。

現在は第25代目まで御子息が継承されており、京都山科にて今も歴史的重要な役割を果たしております。

その様な中で私が仏教に身を置き娑婆世界と仏教世界を対比させた時に感じる真の平和な世界とは?を疑問視させるそして煩悩に振り回されて生きている人間がとても愚かに見えてしまうのです。

確かに私もこの様な事を偉そうに申しておりますが、毎日の生活の中に様々な自己欲求を突きつけられ迷い煩悩に苦しめられながら生きているのです。

この煩悩を如何に取り払う事が出来るかがとても人生には必要な部分で、もし私に肉体が無ければこの3次元全ての物は不必要なモノになるのです。

肉体を持った時点で我々は生きて見るもの全てに対して何らかの感情が生まれ、その感情から欲求が生まれて来るのです。

その感情に実直に従ってしまえば本能の赴くままに行動を起こしてしまい人間としての倫理観を見失ってしまうのです。

倫理観とは人として守りべき道筋、善悪や正邪の判断において普遍的な規準となるものの考え方や捉え方を指していますが、この道筋に沿ったものか否かを瞬時に感じとりながら社会人として間違いが無いかを客観的に判断する事が常に求められるのです。

欲望や欲求は常に生活の中に潜んでいますが、その欲求を如何に生理的に対処できるかで大きく毎日の生活を変える事ができてしまうのです。

朝起きる際に7時に目覚ましが鳴るがどうしても昨夜の夜更かしが響いて朝9時の始業に間に合わない…しかしとても眠い…何とか起きたいが…あと10分二度寝しよう…このような経験はあるかと思いますがこれは睡眠欲に支配されてしまう煩悩との戦いになります。

眠気に負けず無理矢理起きて9時の始業に間に合わせても昨夜の夜更かしで集中出来ないでいる自分がいます。

更に集中力が低下する中で作業を行わないと言った具合に昨夜の夜更かしで次の日の予定していた事全てが台無しになってしまうと言う負のスパイラルに陥ってしまうのです。

結果昨夜の夜更かしが尾を引いて丸一日の自分の目標が達成出来なくなります。

前日の夜更かしの原因が後々の生活に影響を及ぼす結果となると言う事であり、夜更かしの原因は一体何だったのか?を確認してみるべきなのです。

この事から我々が人生に迷い無く生きて行く為には生活の乱れを是正して、笑顔を絶やさず前向きな意識で人とのコミュニケーションを図る事が基本的な成功起因に繋がるのです。

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