平等の根底にあるもの

世界規模で人種差別や人権運動、民主化の運動が世界に広がりを見せていますが、人権を軽視した対応が非常に心痛く思います。何故、武装した警備や警察の対応になったのでしょうか?歴史的過去にも差別が行われて来た事で人権とは?を今一度考えさせられる問題として皆さんに平和の根幹から見直す機会ではないかと思います。
歴史からすると奴隷として扱いを受けて来た悲しい過去からようやく民事主義の原理に沿った国に変わったとしても未だ偏見や僻見が潜在的な意識が根付いていると感じます。
奴隷制度はイギリス国が法律に定めて行いアメリカで根付いたもので、奴隷商人から始まったものです。奴隷を商品として使い人権を無視した扱いや経済的な部分でも悲しい過去があるのです。
こうした歴史的な部分から未だに差別社会が完全に撤廃されていない状況がこのコロナからなる経済格差の社会構造が端を発したものとなっているのです。
暴動や破壊、略奪は差別社会や格差社会の不公平さをデモとして政府に訴えていますが暴動鎮圧の政府の行為から何人もの命が犠牲になっているのです。
先日、アメリカで物議を出している動画を観ましたが、デモ行為による暴動が如何に無意味かを感じさせる内容でした。
デモ行為から生まれる惨劇を繰り返さない為にもこれからはどのように訴えを変えていかなければならないか?命の尊さを知る事や平等がどれほど社会に必要なものかを痛感したものでした。
今後、社会全体が平等に暮らせる為には我々がどのようにしていけば良いのでしょうか?生きていれば優劣は必ず発生します。
優劣が生まれるのはどの社会構図や組織構図でもあり優劣から社会や組織の発展が見込まれる訳であります。しかし優劣として生まれる結果後の行動が大切であると思います。
優れた者が勝ち得た時に学ぶもの、負けから学ぶべきもの、どちらも大きな気付きがあるのです。負けてから知る自分、勝って知る自分…どちらも結果を得た時点から次に繋がる為の意識改革が必要なのです。互いに競い合い争い合う事で一時的な感情を交錯させても最終的に辿り着く意識は争いは無意味なものであると気付つに違いありません。
無意味とは行為自体が無意味ではなく、発端となった原因が争う事で得られる境地を指しています。いくら優劣があったとしても最終互いに尊重し合う姿勢が必要であり、そこに真の平等があるのではないかと思います。
争って勝ち得た事が全ての勝者では無く、勝ち得た者ならば尚更、真の平和に気づくべきなのです。これば経済でも同じ事が言えます。
勝ち組負け組と言った表現がありますが、経済進化を遂げた結果あり、社会構造化されたもによって我々が今後目指して行くのは貧富の差を如何に埋めていく事が出来るかを考えていかなければならないのです。