食物連鎖と生命維持

コラム
2020.12.26

我々はいつも自分の意識で毎日過ごしていると認識しているかと思えますが、実は宇宙の支配下に置かれた単なる一部の存在だと考えられるとしたならば、我々が生きてきた意味を改めて考えさせられるのではないかと思います。

意識以外の3次元世界は物質ありきの存在だとしていると仮定して、我々意識が3次元である肉体を借りた世界で引き起こる現実から感情を受け止めて魂に記憶させていくのです。

3次元世界は非情であり、無残な結果を我々意識を持った者に対して突きつけています。もし我々が感情を持たないで今の現実を受け止めても単に大雨が降ったから家が壊れた…仕方ないなぁ…のレベルでは自身の意識が人間の労りや悲しみ、共存する意識が足りないと言えるのです。

肉体と意識は完全に別物であれば尚更、今引き起こる出来事に対して真摯に受け止めなければならないのです。もしニュースを見て災害映像を見て何も感じないならば我々が人間の身体を使って生きている意味がないのです。

自分も他人も肉体を利用して意識認識をしてから魂に記憶としてインストールしているのです。感情は動物や植物にも宿っています。

動物は我が子を守る為に必死に餌を探します。

しかし、対象となる餌は生命を持った動物や植物なのです。誰かの命を繋ぐ行為は必ず誰かが犠牲にならなければならないのです。誰かの命を誰かに捧げて命を託しているのです。

そのように考えればベジタリアンのような菜食主義が生まれ、動物の生命を守る為や命の存在価値を感じているのです。

しかし自然界の法則として肉食も必要な要素では無いかと考えます。

何故ならば人間の生命の維持の為には肉体が必要としているビタミン類を摂取しなければならないからです。我々の肉体の構成維持には自然界から受ける食物連鎖からなる食事によって人生をも左右されてしまうのです。

命を考える上で肉体維持に必要なビタミンは肉類、植物類から取り入れる必要があるのです。健康の定義と命の定義の差からこのような菜食主義を生み出した結果に繋がっています。

また宗教によっても動物の化身を神として捉えている考え方も自然界からの恩恵の起源に繋がっているのです。

しかし、宗教からなる思考や教えにより肉を摂取しない事や、動物愛護により肉を摂取しないなど様々な精神からなる肉体維持に必要なビタミンは一体どのような考えにいたるのでしょうか?

健康を主とした生命の食物連鎖として考えた場合の肉食は肯定されなければならないのではと個人的には必要であると解釈するのです。

人類が命の輪廻を巡り、次の命にバトンタッチする事こそ我々が地球上に生まれて来た意味ではないかと考えるのです。

意識は自然界に沿って生きる知恵を覚え、自然界から学べる事は魂の向上に繋げていき、また肉体維持は動物や植物から命の延命を我々が地球上から受けている事を認識しなければならないのです。

どちらにせよ肉体維持に欠かせない健康は自然界からの食物連鎖から全ては成り立っているのです。肉類には豊富にタンパク質が含まれていますし、植物にも植物性タンパク質もあります。

ビタミンCであればフルーツから摂取出来ますし、炭水化物は食物から摂取出来ます。自然界から全てのビタミンを摂取しながら生命の維持を我々は図っているのです。

だから我々は自然界に感謝しなければならないのです。物質世界で生きている限り犠牲が必要であり常に弱肉強食世界に身を置いて生きているのです。生きる肉体とは命の代償であるのです。

だからこそ常に延命措置を頂く毎日に感謝しなければ犠牲にしてきたものに対して失礼なのです。自然界と共に命の素晴らしさを今一度考えてみては?

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