人間の価値の形成方法

地上にはありとあらゆる生物が存在しており、生物が毎日この地球上で誕生しており我々が知らない会った事も無い生物がいるのです。
人間の人口が世界で70億人であるならばそれ以外の動物や植物、昆虫や魚、貝類など途方も無いくらい無数の数がこの地球に存在しているのです。
それを包括するのは全て宇宙であり、宇宙から見る地球は小さな惑星に過ぎないのです。
しかし地球上での我々は一体何をやっているんだと言いたくなるくらい人が人を傷付けたり暴言を吐いたり名指しして攻撃したりと自己のエゴのみの感情だけを剥き出しにして自分があたかも正当であると自分自身をモラル規制に基づいた真っ当な人間であると言い張っているのであります。
また、声に出さずとも内心で自身の存在をまるで他人とは違う名誉ある存在だと思い込んでいるイタい人も世の中に沢山いて、それに気付いていない。
それに輪をかけてイタいのが他の人の役に立っていそうで立ったいないタイプであるが、相当面倒臭い人間なのである。
同じ人間なのに精査する基となる基準が一体どのようなものなかのか?
社会貢献と言ったものだけがその人間の価値でも無く、性格が優しいだけでも無く、学歴が良いからだけでも無く、男前美人だから良い訳でも無く色々な他人よりも秀でる要素が一体何であるのかを考えさせられるのであります。
人間の存在価値を自分自身で決定付けるのは生きる上で大切なモチベーションにはなるがそれだけでは無いのである。
一体人間の価値は何で測るのか?と言う事を掘り下げても答えは出ないのです。
しかし、生きる事で色々な人生の選択肢から自分を見出していく過程から自分の存在価値を見出す事は良いことでありますが、世の中の情報や他人から聞かされた信憑性の低いものから人間としての高い評価であるなどと勝手に思い込んでしまうのが大半であるのではないかと思うのです。
それを間違いであると気付く事が大切であり、常に自分自身の行いが人間として正しい行為であるか?を自分を見定めなければらなないのです。
人間としての善悪や慈悲の心、博愛の心、人を労る心、平和を願う心、人の義理や人情がわかる心などと言った心の感情からなる大愛を持った人間こそ価値ある人間ではないかと思うのです。
当たり前だと感じる方もいらっしゃるかと思いますが人間は建前や見栄など張ってしまう悲しく心の弱い依存心に満ちた存在なのです。
現実を見て他人と比べる対象があるから劣等感や劣勢感を常に持ってしまうから見栄や建前を張り自分が価値あるものであると表現してしまうのです。
結構これってカッコ悪いと思いませんか?
ダサいの一言に尽きますが、最低限のTPOでの立ち回りには必要にはなりますが、不要に自分を誇張しても虚しいだけなのです。
本来の人間とは他人との共存により心が豊かさに繋がり、人の痛みや悲しみを受けて成長していくものなのです。
生まれてから何不自由無く育ち物質的幸せや環境的な幸せは果たして心まで幸せに満たされているのでしょうか?
人がいるから自分も幸せと感じるのではないでしょうか?
物を貰っても一時的な幸福であり、その貰った人からの愛情や感情こそ自分の心に永遠と刻み込まれるのです。
物に恵まれた生活では無く人に恵まれた生活が真の自分の価値を形成していくのではないでしょうか?