起因なる自己世界

コロナ禍で学ぶ事は一体なんなのでしょうか?思いを巡らすことはあるかと思いますがこの全世界で起こっている事は全て必然的に行われていると考えるのです。
必然的を辞書で調べてみても必ずそうなるさま…と言う表現になるのです。
必ずそうなると言う事は絶対に避けられない出来事であり、因果の法則によって全ての起因がそこに発生しているのです。
発動、出発、原因などといった具合に全てに於いて始まりがあり、その始まりとなるものが悪に満ちたものであるならば当然悪が連鎖して今の現状を表している事になるのです。
始まる動機で全ての結果が未来永劫であるのか…全ての人々が幸せな毎日を過ごす事を望むならば当然の如く起因が平和なる精神で臨まなければならないのである。
立ち上がる際の自分の精神を毎回確認してみると一目瞭然であり、毎回自分の行動の結果をイメージして事に臨まなければならないのです。
仮に自分のイメージ通りにいかない結果であっても行動を起こす際の自身の動機が善なるものであれば失敗と言う括りには属さないのです。
全て起こす動機が全てなのです。
世界で広まったウィルスの結果を見れば引き起こす原因やら目的などの意識が善なるものでは無かった、もしくは自己利益を伴った自分本位の考えがあったのではないかと思うのです。
この結果として人々は悲しみを生み最愛なる人を亡くした悲しみを一生背負って生きていくのです。
傷を生み消すことの出来ない記憶がまた来世まで持ち越してしまうのです。
この3次元では心の在り方ひとつで世界をも平和に変える事も出来ますし、世紀末のような世の中にも変えてしまえるのです。
生きる意味がこのように一人一人の心の持ち方次第によって大きく左右される自分の人生をも形成してしまうのです。
自分の人生は他人の力によって大きく変化するのです。だから今ある人間関係を見渡してみれば自分の投影となって今いる環境が整備されてくるのです。
人の心を見て自分の人生を作り上げていくのです。付き合う人が善なる人であればその気持ちに同調したレベルであると理解出来るのです。
ところで預言者ババブァンガが未来預言する世界は西暦5079年になれば世界は別へと移行して世界は終わると言われています。
この意味を考えてみればこの世界が誕生した理由が別次元へと進化され我々が行き着く先にはもっと高次元世界に到達すると言う意味なのでしょうか?
世界が滅びるとは書いておらず、宇宙が終わりを迎えてまた新たな宇宙へと移行されるのであれば人類の3000年先の進化が肉体を持ったとしていても超高度な意識を持った無害無比、平和愛念に満ち溢れた人類になっているかもしれないのです。
これも人類の創造主が誕生させた起因理由があっての最終目的であり、因果の法則と言うことでもあるのです。
全てに於いて人類の始まりから最終目的に着地する為には善なる起因からなる進化を必要とするもので無ければならないのです。
変化では無く進化した姿とは今までの考え方から新たにカスタマイズされる成り立ちであり、人間の進化とは肉体が不必要になり身体が小さくなり目が異様に大きくなり、髪の毛も必要なくなるような身体から知能や思考、咀嚼された考えから洗練された思考回路に変わるような無駄なもは全て削ぎ落としたような考え方に至る先にある人間の究極の姿へと化身していくことにあると理解してしまうのです。
その目的とは一体なんなのでしょう。我々が未来の進化からなる人間という基が猿であったならばそこから猿人になり知能が発達した結果、脳が肥大した形が今にあるのです。
しかし、700万年前には猿人が誕生した原因は一体何の為だったのでしょうか?
何故、ゴリラやチンパンジーは人間に進化しなかったのでしょうか?鳥や魚、小動物などにも色々な特性があるように枝分かれした進化の結晶なのでしょうか?
進化の先に何があるのでしょうか?
疑問は深まるばかりです。
今、我々は生きる事に不安を感じる時がありますが、それは命を持って生まれたからなのです。
命を担保する手段が見えないから不安に怯えているのです。
また命尽きる際に起こる感情はどう処理すれば良いのでしょうか?
何処に自分のやり場を持っていけば永遠に不安と言う境地に支配され続けることの無い自分を覆ってくれるのでしょうか?
地球誕生から全ての生命に与えられた宇宙からの試練と言う言葉でしか片付けることしか出来ないのです。
物理法則では数値化出来ても精神を計る事は出来ないのです。だから精神の拠り所を見つけ今ある事に専念しなければならないのです。
宗教は人の心を癒やしてくれます。思想ひとつで人は救われる存在なのです。どのように今置かれた精神を自分なりに納得させるかなのです。
もし今の苦境があるならばそれは仏教やキリスト教やヒンズー教など先人から受け継がれた教えに基づいて自分を見出さなければ前向きな生きてはいけないのです。
宗教を勧めているのでは無く、人が生きていく為には何かに依存する心を持たせなけれぱならないと言う事なのです。
起因からなる人間が進化する為の一つの精神進化であると言う意味なのです。