時間の経過から見出す価値

コラム
2021.02.19

時が流れていく中で我々がいつも掲げていくものは一体なんなのでしょうか?

掲げるとは我々が死に向かって今を生きる上で時間に抗えない生命を維持する中で自分とは何なのか?

を見出していく自分に向き合う瞬間に感じる人間としての価値を指しているのです。

地球上にはありとあらゆる生命が形はどうであれこの太陽の下で光合成を行いながら生きているのです。

そこには子孫繁栄を行う繁殖や後継と言う残す事が生きる意味の原理として繋がってくるのです。

そして生命にはひとつ一つ大切な価値があり、雄と雌、陰と陽、太陽と月、雄蕊と雌蕊、男と女など役割は違えど地球上で生きている価値は全て同じなのです。

人間から見る社会観で言えば金持ちと貧乏、名誉ある者と無い者などはあくまでも人間が作り上げた価値観であり地球上で誕生した動物や植物の生命の価値とは全く違うのです。

しかし人間は社会構築された中で倫理性を持ち何かしらの区別を付けて社会の在り方を定義付けて同じ生命ある価値とは違う物差しで人を計ろうとしているのです。

そこから差別と言う男女の平等、人間の生きる為の人権をも侵害していき身勝手極まりない人格を作り上げてしまうのです。

これからの時代は人と人がフェアであり国境を越えても人間としての価値は同じであり、ましてや名誉ある者こそ先立って平等や平和、人権など人が生きる上で保証されるべき人格を認めていかなければならないのです。

見た目だけで判断したり、地域や国だけで人を判断することは自身の人格を自ら否定しているようなものなのです。だからこそ世界的な取り組みとして必要な男女参画社会の実現を目指していかければならないのです。

数十年前の倫理観を今も自論するのはこれから加速先進していく時代の変化に到底ついていけない頭の硬い者として淘汰されていく結果となるのです。今我々が意識することは世界が何処に向かおうとしているかだけでも自身の心に留め、意識する事から社会が開けてくるのです。

男女平等、人権問題、廃棄ロス、地球温暖化などニュースで流れてくる事が他人事ではならないようにしなければ真の社会構築は実現しないのです。

新しいとはこれから国が取り上げている問題を真摯に受け止める事が1番であるがスケールが大きいならばまずは現実的かつ身近な事からはじめる事が必要なのです。

我々の身近な意識とは人に迷惑をかけない行為…例えばゴミを道端に捨てないなど当たり前の行為が何千人何万人…億人単位でゴミをポイ捨てしない行為をした場合にどれだけ地球が環境改善に至るのか…先日電車から降りて川沿いを歩いていました。

川には小魚が泳いでいましたが魚が気持ち良く泳いでいる横には空き缶が川に捨てられておりました。私はこの光景を見た時、非常に人間の身勝手な愚かさを感じました。

何故、自分が飲み干した缶をわざわざ川に捨てるのか?

自分の欲求を満たしたならば後は知りませんと言ったような気がします。

いつか誰かがその缶を処理しなければならない…巡り巡って誰かがその始末をしなければならないのです。

身勝手極まりない行為に気付く事が必要なのです。

社会への理不尽な不平等さを感じる事は生きていて多々あります。

しかし、自分だけは間違えてはいないと自信を持つ事だけでも自分を認めていれば人の傲慢さや横柄な振る舞いを行っている方々が小さく見えてくるのです。

いくら偉い方がそれ相応に発言していても人格が伴わないようであればそれは全てフェイクなのです。

だから我々は生きていることに誇りを持てば良いのです。

今を生きている事がとても特別に感じるはずです。

物事をマクロ視点とミクロ視点で見るようにすればきっと自分が特別な存在と気づき、そして毎日の時間の経過の中で生き甲斐を見出せるのです。

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