恨むよりも自己反省
人の念とはどのようなことを意味するのでしょうか?念じる事とは自分の願いや想い、また嫉妬や憎悪など様々な人間の感情からなる具現化に至る場合があるのです。
念じる力は時には生き霊となり相手を強く思うが故の魂が一部飛び出して相手に取り憑く事なのです。意識を飛ばすとは強く想念からなる意識が相手に対して強く憎しみに満ちたものであるのです。
しかし、それが自分の悪を棚に上げて自分は悪くないと自分自身に言い聞かせているならば尚更相手が悪いと理由付けるのです。
それこそ典型的な生き霊の霊を飛ばしやすい根源なのです。生き霊は自分が被害にあった事を逆怨みして自分を正当化した結果が相手に対して酷い恨みを持ち続けるのです。
もし自分がされたからと言う理由には自分から派生した結果の根源があるのです。恨む前に何故このようになったかの理由や自己反省を自身に課してみるべきなのです。
自分を鑑みる事をしてみるべきなのです。誰かが悪いと言う前に自分の何が悪かったのかを客観的な視点で見る力が無ければ、単なる地団駄を踏んだ子供の言い分なのであります。
恨んだり嫉妬は誰にでもあり、足を引っ張りたい気持ちは人間だれにもあるかと思いますが全て無意味な感情なのです。
嫉妬や恨み持つ事こそ自分を恥じるべきであり、自分を認めて自己成長に繋げるべきなのです。
余計な時間を使っているのです。その間マイナスネガティブな感情に支配され続けて生きていき、日本昔話しであるような恨み辛みが募り続けた結果として妖怪に変幻してしまい一生負のエネルギーから抜け出せない霊が悪霊に支配されてしまうのです。
同じ負のエネルギーが集まり最終的に巨大で得体の知れないものと同化して人間を死の窮地に追いやってしまうのです。
悪魔になって成仏させるには根本的な自己反省を促し生活から見直す努力が必要なのです。常に人間は欲に支配されながら生きているのです。
108つの煩悩こそ自分から必要の無いものに変える咀嚼力が試されて現世に転生しているのです。人を恨む事や妬むなど子供のする事に気づく事なのです。
生まれて来た理由を仏教的視点から申しますと魂のレベルを向上させて輪廻から解脱する事なのです。輪廻からの解脱を目指すならば全てを許せる人間で無ければならないのです。
間違えた事は正す勇気や発言は必要ですが、人を一方的に恨むなど人間として最低なのです。
やられたからやり返すよりもやられた理由を考えてみてください。