人それぞれの哲学の捉え方

コラム
2021.02.22

今まで私が皆さんに伝えている事で何かを得たり感じたりした事はありましたか?

人から何かを聞いたり見たりして自分なりに感じ取り、見出す事が必要なのは生まれてきてから死に至るまでの間にバーチャルでは無くリアルに引き起こる現実に対してどのように我々は対応していくか?を経験させようとしているのです。

本来は肉体を持たないである事が主であり、肉体を与えられた事から自身が学ぶ為の智慧が地球上には多々あるのです。

動物や植物が進化していく事は既に歴史から立証されていますが正に人間も同じく進化しているのです。進化する為に地球上から学ぶ事は我々魂にはとても貴重な経験として与えてもらっているのです。

生き残りをかけて生存してきたこその進化の賜物であり、今の形成されたものは脈々と受け継がれて来たDNAにも継承されているのです。

そう考えると今の肉体は自分の肉体では無く仮の姿を人間に3D化した魂の形として具現化された存在なのです。

もし仮説として捉えても仮の姿が人間ならば自分は魂に記憶させていく事で刺激を受けて様々な社会の人間関係から学ぶ事で、集団生活や社会生活に於いて必要な知識を吸収する為の人間型情報収集装置なのです。

機械式では無く肉体式の記憶保存、情報収集に必要な五感式人間型肉体装置なのです。

身体から得る五感が我々の情報収集の手段であり、カートリッジに残される唯一の手法なのです。

いずれ肉体が誕生を繰り返して尽きた生命からまた新たな生命を誕生させる事を辞めない限り有限の世界は形を変えてでも宇宙が存在し続ける限り永遠に輪廻するのです。

肉体は滅びても魂は無くなる事は無く、地球は過酷な試練場としてあり続ける魂の土壌になるのです。

これは人それぞれの捉え方や考え方なのでありますが、少なくとも私が経験してきて感じた事なのです。

宗教だけの側面だけでは無く、化学で証明されていないからだけでは無く、私は生きる事には全て理由がある事には何らかの意図があると理解するのです。

何らかとは?と言うには誰かが言ってたからの世界観だけの理解ではないのです。

理解では説明しようが無い第六感とも言うべき感覚であり、感じとる感性によるものなのです。

感性が研ぎ澄まされると言った感覚、又は何かハッとする感覚と言うか直感が湧き出てきたような理解なのです。その感覚に至るには私の過去からの経験(苦しい、悲しい、辛い)などが押し寄せて今の感覚を生んだのかもしれないのです。

何か胸騒ぎがするですとか…急に居てもたってもいられない感じが私を覆うと言った具合なのです。

人の感覚はそれぞれあり世界観も違うからこそ理解し合う部分に隔たりがあるのは当然であり、その隔たりを社会生活や共同作業によって倫理観を養うのです。

社会生活の中に自分の信じた哲学や宗教などを織り交ぜながら自己の人間性を高めてより良い社会を構築出来るように自身が努めなければならないのです。

食の未来プロジェクト最新記事
食の未来プロジェクト概要