社会から得るもの

コラム
2021.03.05

コロナ禍によって病気や自身の意思によって生命を無くされた方々のご冥福をお祈り致しますと共に今後このような惨劇を生まないようにするにはどのようにしなければならないのかを考えていかなければならないのです。

確かに自分の生きる範囲では社会で決められた到達地点をクリアすれば社会的なポジションに就き、地位と自分の居場所の担保が可能な時代でした。他人より秀でた才能や知識、技術を習得して社会経済を担う人材として知能を問われていた時代背景があったのです。

今の時代は競争を持って勝ち負けを分別され続けた結果としてこうあるべきものが崩壊していき、我々が信用していた社会、認められた人材があたかも当然で完璧であると言わんばかりの社会が実は杜撰な政治経済を作り上げてしまっていたのです。

誰かが定めた基準値を単にクリアしたものが全てである社会構図では無くなったと言うものなのです。そこから人格欠如も生まれて地位や立場を利用した特権階級一部待遇されたものだけが自分の人格をも見失う程、人間としてあるまじき行為の分別すら出来ない状況へと自分自身を追い込んでしまうのです。

では一体真の人間とは何なのでしょうか?

立場が担保されたり名誉を得た立場の人間が今以上に飛躍する自分なりの努力を見せる必要があり、常に人間力を高めて怠る事なく目標地点の設定を行い邁進する姿勢を見せる事が真の人間ではないと思うのです。

転生して不遇だと思う、優劣がついてしまうのは3次元世界には絶対にあり割合は必ずどの世界にはあるのです。

しかし、その割合を全て幸福だと100人中100人だと思える現実と言うのは100通りの幸福感があるので、一概に100名の幸せを社会から得る事は不可能なのです。

社会は多数の考え方や意見が賛否あるからこそ、物事の道理や客観的立場から最善の仕組みを用意して三権分立を成立させているだけの枠組なのです。

大人数を平等に扱うには規則や制定による統治が成された際に必要な機能であり、その機能や役割を担う人材が三権分立社会を機能させるに相応しい人材を民間より抜擢、もしくはある一定の試験を設けた知識を得た者だけが該当するのです。

人を裁ける人間ならば尚更、己への自制心や道徳心など最終的に人格が形成された人間で無ければ大多数の意見を取りまとめる大役を任せる事が不可能であるのです。

その立場をあたかも自身が最高権力者であるかの如く振る舞う姿勢や態度に慢心し権力を施行した不正とも取れる行為を平然と行ってしまうのです。

最近は特に政治への関心がコロナ禍によって注目されてしまうのは、我々の将来が不安であるからこそ行政機関への期待値は高まってしまい、更に期待するからこそ本来の人格や真意をも我々は見透かしてしまう、本音を追求してしまうのです。

プライベートではこのような行為をしていたなどとメディアが報じるのも期待された者が公の場で理路整然と発言した事とは裏腹な行為が露呈されて失墜するなど非常に多いと感じるのです。

人間には欲望が付き纏いますが欲望では無く、願望として世の中が平和でより良い社会が構築されるようにと願う動機から真の人格者としての必要性が求められるのです。

だからこそ我々も他人事では無く常に世の中を注視して物事の道理を理解して己の行動に活かすべきなのです。

活かすとは他人を見て我がふり直すと言うことなのです。

他人がしているから私も大丈夫とかなど思わず自己成長に励むべきなのです。

食の未来プロジェクト最新記事
食の未来プロジェクト概要