肉体を持つとことの意味

人間を創り上げた創造主とは一体どのような目論みがあったのでしょうか?
何故、人に性格を与え、地上に転生させて苦悩を与えるのでしょうか?
悲しみと捉えるべきなのでしょうか?生命を何故、他人事のように感じてしまうのでしょうか?
私は生命の事を考えると食べるもの全てに申し訳ないと思うのです。
人間の意思に近ければ近い程辛く感じ、そして感謝するのです。
ある記事で牛舎にて牛を育てた畜産農家のコメントでは幼い時から手塩に掛けて育てた牛は可愛いとおっしゃっていました。
その畜産農家の方も出荷する際には食卓に笑顔を与えてやって欲しいと願いながらの思いがあったと感じるのです。
だから生命とは何なのか?と感じるのです。
蛙が蛇に食べられる様を見て蛙はどのように思うのでしょうか?
イワシを食べる大型魚を食べる人間と…いわゆる巡り巡っての食物連鎖ですが、生きる為に食べなければ自分の生命が無くなるからこそ違う種の生命を奪う事が尊いのです。
生命を繋いでくれたからこその感謝として捉えなければ罰が当たるのです。
罰が当たる事も必然性を感じるのです。
これも巡り巡って己の発信から跳ね返る結果だと認識しなければならないのです。
食事…特に意思疎通が可能な動物などを食べた際に自身がどのように感じるかなのです。
先程、申した畜産農家の話と同じで幼い頃から育てた動物を己が食する際に感じる感情はどのようなものなのか?私は申し訳無く思うのです。
仮に飢えに悶え苦しむ状況があるならば自分の中で悲しみや苦悩が生まれ、選択しなければ生きていけないと思いながら牛を食べると思うのです。
同じ生命として一括りにして考えると昨日、部屋を舞っていた小蝿を振り払ってしまったのです。
これにも何故か辛く感じるのです。
生命を前提に考えて行動すると皆さん(動物、植物、昆虫など)が同じに見えて仕方ないのです。
花には花の生き方があり、トカゲにはトカゲなりの生き方があり、鳥には鳥なりの生き方があり、我々人間にも生き方があり課せられているのです。
他人の生き方に我々は食を通じてその生命を奪い、己の生命を樹立させて生きなければならないのです。
では何故生きなければならないのか?の疑問に至るのです。
何故生きるのでしょうか?地球上でしか味わえない五感を我々に与え、経験させる感動を与える変換機が肉体と捉えてみれば良いのです。
捉え方ひとつで幸福に感じませんか?食べて美味しいと感じる事が出来るのは肉体があるからで、
肉体が無ければ美味しいとは感じられないのです。
肉体を持つと不便ですが不便なりに楽しみを得れる無限の想像があると言うことなのです。