自身の成長のあり方

人を羨むことや妬む事、恨む事、仕返ししたいと思う心は自分を破滅に導くことを意味している事を理解しなければ、一生人を羨んだまま自分自身の霊層から抜け出せずにずっと人にせいにして生きていくのです。
生まれた意味を理解していないと言う事なのです。例えば何か新しいものを得たいと思うならば今の自分のモノを捨てなければ新しいモノを手に入れられない法則を理解しなければならないのです。
肉体は単なる仮の姿であり、魂が本来の自分と考えればモノを持つ事が本来あるべき姿ではないのです。
物を持つ事は自分の魂の表現の一種であるのです。沢山表現したいが為に100のモノを手に入れる事が我々の最大の所有表現である場合、100のモノを持ってしまった際に持ち替える事、又は捨てる事しか方法は無いのです。
人は一生で持てるモノは100でしかないならば100持てた自分は今までの努力で勝ち取ったモノであるから過去の評価や名誉を持ち続けているのです。
そこから抜け出すならば過去の自分を全て断捨離すれば新しい自分を成長させる枠や余裕が出来るのです。
もし100のうち70のモノを捨てる事が出来たなら新しい自分の成長や新しいモノが70手に入るのです。70捨てた事は全て過去のモノ、いわゆるお古をいつまでも御所を大事に依存し続けてしまっている古い自分が居るのです。
依存心や執着心は人間の心を悪鬼に変えてしまい、人のやる行動全てに自分と対比させて足りない自分に苛立ちを感じ、人の足を引っ張る行為や悪口、嫉妬などに支配されてしまい挙げ句の果てに念まで相手に飛ばし最終的に自身が自滅をする結果となるのです。
他人を羨むならば嫉妬では無く憧れとして捉えるべきであり、もし嫉妬心が芽生えたならば自分の足りないモノを認め、相手に対して許す行為を持たなければならないのです。
これが本来あるべき人間が成長していかなければならない過程なのです。
全ては自分の実力過信や慢心からくるものであり、他人の実力を認めることすら出来なくなってしまい誰にも相手にされない孤独の人生の結末を迎えてしまう事を十分に理解しないといけないのです。
人を許し、認めてあげるように自身を成長させていきたいと私はいつも自身に言い聞かせているのです。