時間の経過からなる向上とは?

人生を生きた時に幼い時の記憶は鮮明に覚えているにも関わらず成人になればなる程、時間の経過が季節の変わり目さえ記憶されずに過ぎてしまうのは何故なんだろうと考えてしまう理由は色々あるかと思います。
理由については幼少期には色々と始めて出会うものが多々あるが故に記憶として鮮明に覚えてしまう事があるのです。
初めて体験した記憶、入学式やクラス替え引っ越し、初恋など自分の生活圏内で体感する事柄が目白押しなのです。
その記憶に音楽や味、映像など日常から得た情報は我々の成長期に1番影響を与えたものとして記憶に残るのです。
しかし、成人になりルーティン化した生活パターンや授業とは違う新たな挑戦が日常に消え失せてしまったからなのです。
学生の際には常に他者との同じラインからスタートさせて競争させ、優劣を付けて学ぶべき期間には順位が設けられたからなのです。
だからこそ苦労の記憶と毎回新しい情報の導入からなる鮮明な記憶として今も記憶として残されるのです。
記憶に残る出来事は人生にとっての初の体験からなる事や普段味わえない出来事に遭遇した際に記憶として残っていくのです。
しかし、何気無い驚きや感動が無い時間に関しては自身の記憶に刻む事すら無く、時間が単に過ぎ去った過去でしかないのです。
そのような時間の使い方を皆さんはどのように感じとる事が出来ますか?勿体無いと感じ取るか?軽くランニングするかのようにただ時間を消化していく様に感じ取るか?
時間の受け止め方には感受性が大きく関わり、出来事だけでは無く例えば訪れた先の景色や自然、風や空気、人々の表情や感情、やり取り等も時間と言う過ぎていく中に思い出や記憶として自身の魂に刻み込まれていくのです。
時間の経過の使い方だけでは無く、使う中であった出来事を自身がどのように感じて自分の人生にプラスに働かせていけたか?を自問自答しながら向上に満ちた精神に基づく時間を過ごさなければならないのです。
では向上とは?なのですが、向上は単に勉強したから人生が好転向上したのでは無く、時間の経過には行動がまず基礎となり、基礎の上に行動による感情動向が加わるのです。
向上による感情動向とは人と人とが笑顔で接し会えた、理解し合えた、共感し合えた、努力し合えたなどであり、時間の経過にあたり自身の与えられた時間によって向上に努める事が能動的な状態で発動できたかのです。
自身の時間の使い方ひとつで人生の質が向上する事も言えるのです。時間をどのように使うかを自身が大切に扱えるように認識しなければならないのです。
間違えても時間を無駄に過ごしなさいと言っているのでは無く、時間の経過の中で如何に自身が同じ時間を経過させていくならば、意味のあるものにしなさいと言う意味なのです。
時間の経過の基礎があり、その土台の上に我々の感情が乗っているというのです。
雑に時間を扱う事が記憶をも忘れてしまう、何気無くと言う表現に化けてしまっているのです。
全て何らかの行動は意味があり、良い行動と笑顔で毎日を過ごせるか?が極論尽きるのです。