神社は自然そのもの

コラム
2021.03.21

全国には素晴らしい神社が多々あり我々の生活と密着した心の拠り所として存在しているのです。

例えば、大神神社とは大和国一宮であり、奈良県なあります三輪山が御神体であり、御神域とされる全国でも有数な大社として多くの参拝者が訪れているのです。

東海地区では愛知県一宮市にある真清田神社、岐阜県にあります南宮大社などが同じ一宮となり、地域を統括する御神徳の高い大社として祀られているのです。

全国を統括する天皇や総理大臣も参拝、また有数名のある企業者も崇拝する伊勢神宮もまた日本を代表とする天照大神の下に我々は生活しているのです。

これは神道や宗教絡みでのお話では無く、我々が生まれて初参りや七五三参りなどを経て、成人となり人生の成長と共に神様と言う自然崇敬をルーツとした五穀豊穣など我々の生活に密着した祈りの精神が今も2000年前より歴史文化として脈々と受け継がれて来たのです。

これは新たに創造された新興宗教と言うものでは無く、人々が生きる上で命を担保する為に目には見えない物への懇願、祈願などから派生された日本人の心の現れてあったのです。

自然崇敬には古事記から見る卑弥呼などのシャーマンと呼ばれるような超常現象を伴うようなものも人間がイタコのように代わりになって行うようなものとは全く異なり、人間を崇敬対象としたものが神の化身的感覚に陥る場合があり、決して自然崇敬は万物創生する絶対に人間の人智では理解出来ない領域なのです。

我々は自然が生きる根源となっており、生きる上で自然への感謝を忘れてはならないのです。

自然と調和した人間らしい生き方を自然界は人間に対して、災害や天災を通じて教えを投じているのです。

それに対する自然への感謝の意を伝える為の祈願として向き合う場所を歴史は我々に教えていると認識しなければならないのです。

単なる欲望を満たす為の祈願では無く世界平和や日本未来への祈願として今置かれた自身の願いがマクロ的とも言える祈願に精通しなければ本来あるべき神社の姿に見合うものではなくなってしまうのです。

それを我々は理解して神社参拝を行なわなければならないのです。

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