肉体を持って生まれた意味

人にはそれぞれの特性があり、その特性から何の為に自分がこの時代に誕生してきたか?を考えながら人生を歩まなければならないのです。
大袈裟な表現では無く肉体を持って生まれて来た事には非常に不思議な感覚に陥ります。
この性格は生まれて来る前からある程度の性格は出来上がっており、生まれてすぐから両親の育て方、環境によって資質が持つ特性から肉付けされ人格が形成されており、素ある資質は肉体を持つ以前から自身と言う存在があり続けていたという事なのです。
これは肉体以前の自身があった事を示唆しており地球上で生きる為には何らかの物質依存が必要であり自身を投影させる代用するもの、いわゆる肉体を持つ事により自身の達成する目的を課されているのです。
今まで自身が選択してきたものは自分と言う存在が選んできたものであり、自分でなければ今の立ち位置では無かったと言う事になるのです。
外側から見て瓜二つの兄弟がいても中身の性格や資質が違うのは何故なのでしょうか?
何らかの肉体を持っていない時の自分が既に存在していた事が言えるのです。
表面的な肉体があっても自分では無い存在であれば違う人であり、違う人生の選択をするのです。
本人であれば右側を選択するはずなのに違う人なら左側と言ったように思考すら人格によって選ぶ意図も違って選択していくのです。
結局、自分がこの肉体を支配しており、肉体を使って地球上の行動から自身の創造を具現化していくのです。
しかし、自身と同じように違う人格を持った肉体に憑依した人格もおり考え方や判断基準が違う者同士が地球上で一緒にルールを互いに作り生活をしなければならないのです。
ある意味肉体を持つ事は不便な事だと感じるのですが、肉体を持ったからこそ共通の意識が必要であり、共通の意識が生まれなければ互いに争いや意見衝突が起こってしまうのです。
肉体を持たない自分の人格から新しい自己形成を目指す為の必要な情報を取り入れる機能として肉体は必要なのです。
新しい自分作りの為に必要な肉体として考えれば自分自身が愛おしく思え、また他人も愛おしく感じるのです。
自身のエゴだけを通して共同社会生活を過ごすのでは無く、他人も同じ生活を送っている事を考えると自分の立ち位置まで襟を正ながら生活していかなければならないと感じるのです。
常に自分が何かによって振り回されないような人格を作り上げていかなければならないのです。