浄土真宗仏教の学び

コラム
2021.04.25

本日、京都山科の東本願寺が主宰する仏教学の勉強に来ています。

私は5年程前に週末仏教を学びたく、色々探した結果、在家や社会人でも学べる場所に定期的に来ております。

この学びを通じて仏教を学びある一定のカリキュラムを取得すれば得度が可能とした東本願寺の浄土真宗の僧侶として活動もできるのです。

もちろん、得度式には剃髪はしなければなりませんが、以降は髪を伸ばしても良いとしております。

学びでは歴史的な仏教学や、実践を含めた声明、また真宗学などを月に数回勉強していくのです。

レジュメを使って説明を受けながら深く探究していきますが、解説と同時に先人が民衆に訴えかけた悟りの境地を知ることになるのです。

単に歴史書を紐解くような専門家の話では無く、過去の大乗仏教によってお釈迦様が広く悟りや教えを民衆に教えたかった事を数千年かけて人間が生きる大切な気付きを得てもらいたかったと思うのです。

授業ではわかりやすい内容で具体的な探究と生きる為の心のより何処となり、我々の生活基盤ともなる精神的な魂を科学的な見解だけにしか目を向けない愚かな科学者だけの世界観に留まらずに展開されているのです。

しかし、三次元で生きている以上見るもの全てしか信じる事ができないのが人間の性(さが)なのである。

日本には無宗教と言う人が大勢いらっしゃる人、又は主張されていらっしゃる方々は多くいますが、世界には人間と宗教は切っても切り離せない哲学や道徳の根源となるのです。

人間には精神的な支えを求めており、何かにすがる気持ちを穴埋めするかのように目の見えないものへの依存を高めていくのです。

それを置き換えて日々の生活に活力として見出しているのです。

人間は1人では生きていけないからこそ、数千年もの歴史の中で仏教文化の発生により、生きる意味や生まれてきた意味を先人は模索してきたのです。

時代が変わっても人間の心に於ける生き方を知り、成長して真理を知ることは今も考えや捉え方は変わってはいないのです。

浄土真宗開祖の親鸞聖人から800年以上の歴史があり、同時の人々もまた、その時代に生きて救いを求めていたのです。

昔は今よりも過酷な世界だったに違いないからこそ、先人は生命を常に引き換えにして懸命に生きていたのです。

現代では医療も食糧も生活環境に密着した供給網が敷かれているからこそ、命乞いなどの天に対しての祈りや、仏様の慈悲なる浄土への光、救いを求めて生きてきたのです。

今では生活環境の心配は無くなったが、引き換えに精神の豊かさを人々は喪失してしまったのです。

身の回りに危険が無くなり、常に生活への安心を得たからこそ、精神的な生まれ変わりをしなければならないのです。

その意味を知りたくてこの仏教の教えから自分を見つめているのです。

こちらは阿弥陀経になりますが、有難いお経です。

私が得度した理由としましては世界が少しでも平和になればと思っての得度です。

将来が悲しみにならぬよう毎日祈っております。

南無阿弥陀仏  法名 釈瑞賢

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