武力時代から考える先の生命

コラム
2021.05.13

つい450年前まで我々祖先は今の日本を想像したのでしょうか?

当時では織田信長が天下布武を掲げて領地奪取を狙う戦国時代と言われる頃は携帯も車も無い産業革命以前の形式文化があったのでした。

大河ドラマなどでは日本の歴史的な時代背景が描写化されて人気でありますが、その時代の人達が何を想いながらその時代を生き抜いたのか?が非常に我々は興味を惹かれる瞬間となるのです。

1560年代頃から織田信長が織田家の家督となり、尾張一国の城主となり駿河を支配していた今川義元を桶狭間の戦いによって撃破した事は有名な歴史談としてあります。

永禄3年(1560年)5月19日(6月12日)は愛知県知多郡桶狭間での合戦、今川軍25000〜45000名、織田軍3000〜5000名と大差があり奇襲作戦により本陣に向けて直接攻撃して討ち取ったのです。

この状況を推測しても非常に良い条件が重なり合い勝利したものであると考えられます。

悪天候からの奇襲や今川軍側の配備、地形によるものなど勝利する際には幾つもの条件が重なり合いながら、いわゆる偶然と言う表現も可能なのです。

桶狭間の戦いによって徳川家康も岡崎城の奪取や今川氏からの離反によって天下統一まで至った運命とも言える戦いであったのです。

時代を思い返せばその時の状況を回想することは当時がどのような環境や人間関係を作りあげていたのかにも興味が湧くのです。

昔は普通に刀を持ち歩いていますが、今の日本では銃刀法違反になり逮捕されてしまうのです。

武将や足軽、鉄砲隊、騎馬隊など役割によって軍部を設けて戦略を練り、相手の敵将の首を脅す行為は生命の尊重より領土獲得により自身の家系の存続や領地支配による権威体制を構築する為に絶対必要な時代であったのです。

人間が進化していき、集団を作る様になり生きる為に狩猟や農作を行いコミニティーを作り繁栄してから集団の力格差が生じて他の集団に武力によって立ち入り支配をしてきたことが、戦となり身を守る事や攻め入る事が常習化して生活習慣自体に戦が主になったわけなのです。

しかし、歴史的には武力で全国を統治してから一律に支配するきっかけとなった武将たちであり、我々が今生きている時代への架け橋となった先人たちなのです。

血を流さなければならななかった時代、生命をかけなければ何も守れない時代であったのです。

悲しいかな戦とは必要の無い生命までも殺してしまう非情性があり、生命の意味を考えさせられるものであるのです。

今、コロナ禍でたくさんの生命も亡くなる中で今生きている事自体に何を自分の中で見出していくのか?を再度考えなければならないのです。

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